2024年08月16日
番外 愛知県の古墳㊷ー2 神福神社古墳[小折古墳群] 大口町 全長54mの前方後円墳または直径30mの円墳
下記のように古墳は、神福神社の境内地にあります。後円部に巨大な盗掘抗があるためか、くびれ部に社殿が建立されています。
赤塚次郎さんは、「9 富士塚古墳」(『愛知県史 資料編3 考古3古墳』所収)の項目で、「現在は、神福神社境内となっており、社殿の東側の高まりが後円部となる。墳長54m、後円部径は約30mほどで、前方部幅が30mを測る前方後円墳である。社殿の東側には大きな陥没穴があるが、おそらく横穴式石室が存在し、その石材などの抜取痕跡と思われる。外部施設や副葬品などは知られていない。なお、墳形に関して前方後円形を疑問視する意見もあり(伊藤 1996)、最終的には発掘調査などにより確認が必要であろう。」(p.76)と述べています。
ただし、伊藤秋男さんは、「神福神社古墳の墳形を再検討した結果を結論的にいえば、次のとおりである。神福神社古墳を全長五四メートルの前方後円墳とするこれまでの考え方は、明治一七年(一八八四)作成の地籍図に基づくかぎり誤りであり、正しくは直径三〇メートルの円墳と修正すべきである、とするのが小論の結論である。」(『地籍図で探る古墳の姿(尾張編)』p.26)と述べています。
ここでは、墳長については、両論併記としましたが、下記の絵は前方後円墳という前提で撮っています。
この古墳の約400m北西に、前回の富士塚古墳があります。
神社の石柱。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

くびれ部の社殿。
後円部の盗掘抗。
全景。右が後円部、左が前方部。南から。
以上2013年6月撮影。
赤塚次郎さんは、「9 富士塚古墳」(『愛知県史 資料編3 考古3古墳』所収)の項目で、「現在は、神福神社境内となっており、社殿の東側の高まりが後円部となる。墳長54m、後円部径は約30mほどで、前方部幅が30mを測る前方後円墳である。社殿の東側には大きな陥没穴があるが、おそらく横穴式石室が存在し、その石材などの抜取痕跡と思われる。外部施設や副葬品などは知られていない。なお、墳形に関して前方後円形を疑問視する意見もあり(伊藤 1996)、最終的には発掘調査などにより確認が必要であろう。」(p.76)と述べています。
ただし、伊藤秋男さんは、「神福神社古墳の墳形を再検討した結果を結論的にいえば、次のとおりである。神福神社古墳を全長五四メートルの前方後円墳とするこれまでの考え方は、明治一七年(一八八四)作成の地籍図に基づくかぎり誤りであり、正しくは直径三〇メートルの円墳と修正すべきである、とするのが小論の結論である。」(『地籍図で探る古墳の姿(尾張編)』p.26)と述べています。
ここでは、墳長については、両論併記としましたが、下記の絵は前方後円墳という前提で撮っています。
この古墳の約400m北西に、前回の富士塚古墳があります。
神社の石柱。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
くびれ部の社殿。
後円部の盗掘抗。
全景。右が後円部、左が前方部。南から。
Posted by じこま at
07:07
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