2018年01月29日
05 河内大塚山古墳 大阪府松原市 335m
宮内庁が「大塚陵墓参考地」としている古墳です。陵墓参考地とは、天皇や皇后などの皇族の墓と考えられるが、誰が葬られているかさすがの宮内庁も特定できない所です。ちなみに、宮内庁の定義によると「陵墓」とは「陵」が天皇や皇后、天皇の母ちゃん、祖母ちゃんを葬った所、「墓」はその他の皇族を葬った所だそうです。従って、豊橋のおっさんのご先祖様の墓は、宮内庁の定義では「墓」ではないという事になります。あららら。
また、宮内庁は奈良県広陵町にある新山古墳も「大塚陵墓参考地」と命名しており、レレレのレとなってしまいました。
古墳周辺は、住宅地が立て込んでおり全体を撮影できる場所が見つけられませんでした。そのため、しょぼい絵です。いつかリベンジを。手前が前方部の左隅、奥が後円部の一部です。

前方部の端です。研究者によると、築造途中で何故かストップされた未完の古墳だそうです。そのためか?、大正時代まで墳丘内に家家があり村が形成されていました。
追記
上の絵は2008年10月撮影。下の2枚は2013年12月撮影。
2019年10月29日のブログに、「追加05 河内大塚山古墳」として新しい絵を掲載しています。
また、宮内庁は奈良県広陵町にある新山古墳も「大塚陵墓参考地」と命名しており、レレレのレとなってしまいました。
古墳周辺は、住宅地が立て込んでおり全体を撮影できる場所が見つけられませんでした。そのため、しょぼい絵です。いつかリベンジを。手前が前方部の左隅、奥が後円部の一部です。
前方部の端です。研究者によると、築造途中で何故かストップされた未完の古墳だそうです。そのためか?、大正時代まで墳丘内に家家があり村が形成されていました。
追記
上の絵は2008年10月撮影。下の2枚は2013年12月撮影。
2019年10月29日のブログに、「追加05 河内大塚山古墳」として新しい絵を掲載しています。
Posted by じこま at 10:23│Comments(0)