2018年07月05日
624 島泉丸山(高鷲丸山)古墳 大阪府羽曳野市 円墳 径76(径75)m
宮内庁が雄略天皇の「丹比(たじひ)高鷲原陵」と治定している古墳のひとつです。幕末や明治時代の改修工事で、円墳の丸山古墳と近接した方墳の平塚古墳とを組み合わせて、「前方後円風」に仕立て上げ、雄略天皇の陵としたもの。ただし、北側から見ると丸山古墳の周濠のため「後円部」と「前方部」がつながっておらず、フェイク前方後円墳であることがよくわかります。前にも同じようなことを書きましたが、方墳としては規模最大の桝山古墳(ランキング482位)も、隣接した丘陵地を「前方部」とみなして「前方後円風」とし、宮内庁はそのフェイクな「墳丘」を、倭彦命の「身狭桃花鳥坂墓」と治定していました。
藤井寺市のHP.の「古市古墳群紹介」の「円墳」の項目で、「32 島泉丸山 径(メートル):75 所在地(市):羽曳野」と記されています。円墳として、巨大な姿を示しています。改修工事以前は、この古墳単独で雄略天皇陵とする考えもあったそうです。森浩一さんも、『天皇陵古墳への招待』の中で、「高鷲には丸山古墳がある。直径七六メートルの大円墳で周濠もある。日本では一二番めに大きい円墳である。学会では古墳時代の天皇陵は前方後円墳がふさわしいという考え方があって、吉田東伍の『大日本地名辞典』では丸山古墳の西方にある河内大塚古墳を雄略陵にあてた。ぼくもそのように考えた時期もあるが、すでに述べたように河内大塚古墳の年代は雄略天皇の治世よりかなり新しい。(中略)このように高鷲丸山古墳は大円墳であることがかえって雄略天皇陵にふさわしいと考えている。」(pp.264~265)と主張しています。
説明板。
「落書きNO」
全景。北から。
やや全景。南から。
やや全景。東から。
近景。南東から。
以上2013年12月撮影。
おまけ 島泉平塚(高鷲平塚)古墳 方墳 辺50m
立札(「制札」)
「オーマイゴッド」
ほぼ全景。東から。
近景。南西から。
以上2013年12月撮影。
藤井寺市のHP.の「古市古墳群紹介」の「円墳」の項目で、「32 島泉丸山 径(メートル):75 所在地(市):羽曳野」と記されています。円墳として、巨大な姿を示しています。改修工事以前は、この古墳単独で雄略天皇陵とする考えもあったそうです。森浩一さんも、『天皇陵古墳への招待』の中で、「高鷲には丸山古墳がある。直径七六メートルの大円墳で周濠もある。日本では一二番めに大きい円墳である。学会では古墳時代の天皇陵は前方後円墳がふさわしいという考え方があって、吉田東伍の『大日本地名辞典』では丸山古墳の西方にある河内大塚古墳を雄略陵にあてた。ぼくもそのように考えた時期もあるが、すでに述べたように河内大塚古墳の年代は雄略天皇の治世よりかなり新しい。(中略)このように高鷲丸山古墳は大円墳であることがかえって雄略天皇陵にふさわしいと考えている。」(pp.264~265)と主張しています。
説明板。
全景。北から。
やや全景。南から。
やや全景。東から。
近景。南東から。
おまけ 島泉平塚(高鷲平塚)古墳 方墳 辺50m
立札(「制札」)
ほぼ全景。東から。
近景。南西から。
Posted by じこま at 11:14│Comments(0)