2018年07月15日
657 櫛玉比売命神社古墳 愛媛県松山市 75m
愛媛県では、今治市の相ノ谷1号墳(ランキング553位)に次ぐ規模の古墳です(おっさん註 墳長不確定の鯨山古墳(ランキング[125位])は除く)。松山市教育委員会・財団法人松山市生涯学習振興財団埋蔵文化財センターの報告書『北条片町遺跡』によると、「前期古墳では、立岩川周辺に櫛玉比売命神社古墳(全長75m)や国津比古命神社古墳(全長50m)の前方後円墳が隣接して築造される。いずれも自然地形を利用して築造されており、墳丘には葺石を葺いており、円筒埴輪片が採集されている。」(pp.2~4)と述べられています。
2つの古墳は立岩川の南の独立丘陵上にあり、築造時は海を臨む河口付近であったと思われます。櫛玉比売命神社古墳は、後円部の西側が参道となり、くびれ部から前方部にかけて神社の社殿が建立され、墳丘はかなり改変されていますが、その大きさは実感することができます。隣接している国津比古命神社古墳も、後円部墳頂に社殿が建立されており、神社の解説板の文章を読まなければ古墳であるとは気づきません。
神社の石柱。
後円部近景。
後円部から前方部。
前方部右隅から後円部。南から。
全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北西から。
以上2017年5月撮影。
後円部近景。
前方部?右側。左側。

後円部から前方部。
以上2013年4月撮影。
おまけ 国津比古命神社古墳(全長50mの前方後円墳)
神社の解説板。
後円部墳頂。
前方部右端から後円部。
全景。左手前が後円部、右奥が前方部。北から。
以上2017年5月撮影。
2つの古墳は立岩川の南の独立丘陵上にあり、築造時は海を臨む河口付近であったと思われます。櫛玉比売命神社古墳は、後円部の西側が参道となり、くびれ部から前方部にかけて神社の社殿が建立され、墳丘はかなり改変されていますが、その大きさは実感することができます。隣接している国津比古命神社古墳も、後円部墳頂に社殿が建立されており、神社の解説板の文章を読まなければ古墳であるとは気づきません。
神社の石柱。
後円部近景。
後円部から前方部。
前方部右隅から後円部。南から。
全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北西から。
後円部近景。
前方部?右側。左側。
後円部から前方部。
おまけ 国津比古命神社古墳(全長50mの前方後円墳)
神社の解説板。
後円部墳頂。
前方部右端から後円部。
全景。左手前が後円部、右奥が前方部。北から。
Posted by じこま at 10:31│Comments(0)