2018年08月04日
708 和邇大塚山古墳 滋賀県大津市 72m
HP.大津市歴史博物館の中の「大津市の歴史データベース」の「和邇大塚山古墳」の項目で、「標高185.8mの曼荼羅山の山頂北側に築かれた全長72m、後円部径50mの前方後円墳で、眼下に小野地域を一望する。明治40年(1907)に地元の住民によって発見され、後円部から鏡や勾玉、刀剣、甲冑、土器などの大量の副葬品が発見された。築造年代は、古墳時代前期の半ばから後半と推定されている。」と記しています。
古墳の東方にある「朝日二丁目集会所」に隣接している朝日緑地公園を入口として古墳に向かいました。山道なので、甘くみると上りはつらいです。山頂付近には、いくつかの円墳とみられる高まりや開口している石室があります。後円部の墳頂には、三級水準点を示す丸い標識がありますが、盗掘抗と思われる大きな穴もみられます。訪問時は、草木で墳丘の形ははわかりにくかったですが、その大きさは十分感じられました。
再訪時、古墳の西方には発掘調査中と思われる地点がありました。後日確認すると、曼荼羅山古墳群であることがわかりました。ただし、その後破壊されて現在は住宅地になっています。ただし、隣接する1基のみが真野北古墳公園として保存されているそうです。
石柱。志賀町教委の説明板。

後円部右側。左側。

前方部右側。左側。前方部から後円部。


後円部墳頂。
後円部端近景。
大塚山古墳付近から曼荼羅山古墳群を見る。
以上2014年6月撮影。
後円部墳頂の三級水準点。
後円部墳頂の盗掘抗か?。
以上2010年7月撮影。
古墳の東方にある「朝日二丁目集会所」に隣接している朝日緑地公園を入口として古墳に向かいました。山道なので、甘くみると上りはつらいです。山頂付近には、いくつかの円墳とみられる高まりや開口している石室があります。後円部の墳頂には、三級水準点を示す丸い標識がありますが、盗掘抗と思われる大きな穴もみられます。訪問時は、草木で墳丘の形ははわかりにくかったですが、その大きさは十分感じられました。
再訪時、古墳の西方には発掘調査中と思われる地点がありました。後日確認すると、曼荼羅山古墳群であることがわかりました。ただし、その後破壊されて現在は住宅地になっています。ただし、隣接する1基のみが真野北古墳公園として保存されているそうです。
石柱。志賀町教委の説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。前方部から後円部。
後円部墳頂。
後円部端近景。
大塚山古墳付近から曼荼羅山古墳群を見る。
後円部墳頂の三級水準点。
後円部墳頂の盗掘抗か?。
Posted by じこま at 07:44│Comments(0)