2019年02月09日

1148 折越十日塚古墳 茨城県かすみがうら市 60(復元70)m

 HP.「かすみがうら市歴史博物館」の「市内指定文化財」の「折越十日塚古墳」の項目で、「折越の台地の端にある全長63.2m、後円部の高さ約5.4mを計る前方後円墳です。現在は開口していませんが、後円部に横穴式石室があり、石室内部に朱による線や彩色が見られることから、太子唐櫃古(ママ おっさん註「墳」の字が欠ける)と同様の装飾古墳であることが明らかです。また、周囲には二重に周溝が廻るなど珍しいもので、築造は7世紀前半と推定されています。」と記されています。上記のように、かすみがうら市の史跡に指定されています。ただし、かすみがうら市のHP.の「史跡」の「市指定」の項目(UPDATE 2017年10月16日)では、この古墳名はありませんでした。「変だらー」。 また、研究代表者の佐々木憲一さんは、「かすみがうら市折越十日塚古墳墳丘の測量調査、横穴式石室の実測調査を実施した。現存墳丘長は64.0m、後円部径33.0m、後円部高さ6.0m、前方部長27.0m、前方部高さ4.5m、くびれ部幅17.0mであった。しかし墳丘、特に前方部は大きく削られており、墳丘全長は70m以上、前方部超(ママ おっさん註「長」の誤字)は35m前後に復元できそうである。なを、測量調査の過程で、埴輪片を一切最終(ママ おっさん註「採集」の誤字)することができなかった。常陸では6世紀末までに埴輪生産が終了することが知られているため、この古墳の築造が6世紀末以降であることを示唆する。」(「前方後円墳体制東縁地域における国家形成過程の研究:常陸の場合」 科学研究費助成事業(科学研究費補助金)研究成果報告書 平成25年6月10日現在)と述べられています。余談ですが、考古学研究の私学の雄である明治大学、その科研費報告書の「研究成果」項目のわずか数行で、2つも誤字があるのはとても残念なことです。「杉原荘介さんが泣いているじゃん」。「細部にこだわってばかりで、人間が小さいだらー」。  
 墳丘は激しい薮で覆われており、墳形の確認は全くできませんでした。ただし、少し離れて全体を見てみると古墳らしい形を確認することができました。古墳は、最後に築造された前方後円墳のひとつと考えられています。
 まいどおなじみの「霞ヶ浦北岸(沿岸)古墳」です。約500m北東の同一丘陵上に、坂稲荷山古墳(ランキング944位)があります。
 

 かすみがうら市教委の説明板。
1148 折越十日塚古墳 茨城県かすみがうら市 60(復元70)m



 後円部右側。左側。
1148 折越十日塚古墳 茨城県かすみがうら市 60(復元70)m
1148 折越十日塚古墳 茨城県かすみがうら市 60(復元70)m

 前方部。
1148 折越十日塚古墳 茨城県かすみがうら市 60(復元70)m


 全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北西から。
1148 折越十日塚古墳 茨城県かすみがうら市 60(復元70)m
            以上2015年5月撮影。



Posted by じこま at 08:08│Comments(0)
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