2019年02月11日
1153 成島1号墳 山形県米沢市 60(59)m
米沢市教育委員会の『遺跡詳細分布調査報告書 第16集 別冊 成島古墳群1号墳』によると、「成島古墳群1号墳は、平成元年に発見され、平成3年に測量調査が行われました。その結果、全長58.7mの前方後円墳であることが確認されました。 古墳からは、墓壙跡と副葬品として鹿角装鉄剣、鉄鏃、鉇、管玉等が出土しました。墓壙には、割竹形木棺を埋置したと推測され、粘土槨をもたない木棺直葬の形態と聞いております。年代は、県内でも古い4世紀後半~4世紀終末期に位置づけられます。」(序文) 「平成3年の測量調査で判明した成島1号墳について述べる。1号墳は山頂の南側を削平して古墳を構築したものである。古墳の南側から前方部の西側にかけて周溝上の落ち込みがみられる。(中略) 古墳の形状は左右対象(ママ 「称」の誤り)の前方後円墳であり、後円部径が32.5m、前方部長が26.2mの全長58.7mを有する。後円部は後世に掘られた穴が十箇所に亘って存在し、古墳の墳頂部が著しく変形している。従って墳麓線の有段の把握は困難であった。現状での観察では北側と南側に段が認められ、三段築成の可能性が高い。」(p.12)と述べられています。
古墳は、米沢盆地に面する山地東端の山頂付近に立地し、山裾を国道287号線が南北に通り、約400m北に、JR.米坂線「成島」駅があります。最初は、丘陵地の北部にある京塚古墳群に向かって、木製の鳥居のある場所から上っていきましたが、途中から薮漕ぎしても全く進めない状況で断念しました。このまま諦めるのも納得がいかなかったので、国道を南下して道路側から斜面をジグザグに上りながら、ようやく山頂にたどり着きました。しかし、ここも激しい薮で墳形は全くわからない絵しか撮れませんでした。ただ、木々の間から見る米沢盆地に少し癒されました。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後円部。
後円部墳頂。
後円部端全景。
遠景。東から。
前方後円墳を横からみたようだが、1号墳はこの絵の中にないかも。
後円部墳頂から米沢盆地方面を見る。
以上2017年5月撮影。
古墳は、米沢盆地に面する山地東端の山頂付近に立地し、山裾を国道287号線が南北に通り、約400m北に、JR.米坂線「成島」駅があります。最初は、丘陵地の北部にある京塚古墳群に向かって、木製の鳥居のある場所から上っていきましたが、途中から薮漕ぎしても全く進めない状況で断念しました。このまま諦めるのも納得がいかなかったので、国道を南下して道路側から斜面をジグザグに上りながら、ようやく山頂にたどり着きました。しかし、ここも激しい薮で墳形は全くわからない絵しか撮れませんでした。ただ、木々の間から見る米沢盆地に少し癒されました。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。
後円部墳頂。
後円部端全景。
遠景。東から。
後円部墳頂から米沢盆地方面を見る。
Posted by じこま at 08:08│Comments(0)