2019年02月17日
1168 市杵嶋神社古墳 愛知県豊橋市 前方後方墳 60m
豊橋市教育委員会の「市杵嶋神社遺跡(Ⅰ) -市杵嶋神社貝塚・市杵嶋神社古墳ー」では、「古墳の規模をまとめてみると、全長60m前後、後方部長32m、同高5m、前方部長17m以上、同幅17m以上、同高1.5m以上、くびれ部幅10mとなり、東三河における前方後方墳の中では最も大きな古墳の一つである。なお、後方部平坦面の規模については、神社の建物等による改変が著しく不明である。」(p.63)と述べられています。
古墳は、築造時には三河湾に突き出た舌状台地の西端に立地していたと思われます。したがって、三重県方面から伊勢湾を東に向かい、知多半島と渥美半島の間を通り三河湾に入って最奥の地がこの場所にあたります。三重県松阪市の宝塚古墳(宝塚1号墳)(ランキング199位)と愛知県西尾市(旧吉良町)の正法寺古墳(ランキング436位)との墳丘形態の共通点が指摘されており、何らかの形で海上交通の結びつきがあったと思われます。古墳は、縄文時代晩期を中心とする貝塚の上に築造され、その後中世から近世にかけての古墓が93基見つかっています。貝塚の上に古墳が築造されたケースとして、熊本県八代市の有佐大塚古墳(ランキング822位)を思い出しました。
古墳の前方部は住宅地となっており、後方部も社殿が建立されて墳形を確認できませんでした。ただ、社殿の後方に貝殻が散布している高まりが一部分見られました。
余談になりますが、神社の祭神となっている「市杵嶋姫命」は宗像三女神の一柱です。世界遺産に登録された沖ノ島には、宗像大社の沖津宮があり長女の「田心姫神」を祭神としています。宗像三女神を祀る神社は、海上交通と関連する神社が多いように思います。三河湾岸にある天然記念物に指定されている蒲郡市の竹島、そこにある「八百富神社」の祭神も「市杵島(嶋)姫命」でした。
神社の石柱。
「首が回らない・・・」。
後方部端全景。南東から。
後方部墳頂。墳頂の一部。

前方部跡付近から後方部。北西から。
手前が前方部右隅跡付近、奥が後方部。西から。
全景(横から)。右が後方部、左が前方部跡。南西から。
やや全景(横から)。右の住宅地が前方部跡、左の林が後方部。北東から。
以上2019年2月撮影。
後方部右側。左側。

前方部跡。
前方部跡付近から後方部。北西から。
以上2014年2月撮影。
古墳は、築造時には三河湾に突き出た舌状台地の西端に立地していたと思われます。したがって、三重県方面から伊勢湾を東に向かい、知多半島と渥美半島の間を通り三河湾に入って最奥の地がこの場所にあたります。三重県松阪市の宝塚古墳(宝塚1号墳)(ランキング199位)と愛知県西尾市(旧吉良町)の正法寺古墳(ランキング436位)との墳丘形態の共通点が指摘されており、何らかの形で海上交通の結びつきがあったと思われます。古墳は、縄文時代晩期を中心とする貝塚の上に築造され、その後中世から近世にかけての古墓が93基見つかっています。貝塚の上に古墳が築造されたケースとして、熊本県八代市の有佐大塚古墳(ランキング822位)を思い出しました。
古墳の前方部は住宅地となっており、後方部も社殿が建立されて墳形を確認できませんでした。ただ、社殿の後方に貝殻が散布している高まりが一部分見られました。
余談になりますが、神社の祭神となっている「市杵嶋姫命」は宗像三女神の一柱です。世界遺産に登録された沖ノ島には、宗像大社の沖津宮があり長女の「田心姫神」を祭神としています。宗像三女神を祀る神社は、海上交通と関連する神社が多いように思います。三河湾岸にある天然記念物に指定されている蒲郡市の竹島、そこにある「八百富神社」の祭神も「市杵島(嶋)姫命」でした。
神社の石柱。
後方部端全景。南東から。
後方部墳頂。墳頂の一部。
前方部跡付近から後方部。北西から。
手前が前方部右隅跡付近、奥が後方部。西から。
全景(横から)。右が後方部、左が前方部跡。南西から。
やや全景(横から)。右の住宅地が前方部跡、左の林が後方部。北東から。
後方部右側。左側。
前方部跡。
前方部跡付近から後方部。北西から。
Posted by じこま at 08:08│Comments(0)