2019年02月28日
1194 中社古墳 愛知県名古屋市 前方後方墳→(前方後円墳) 60m→(64m)
名古屋市のHP.の「史跡 中社古墳(なかやしろこふん)」の項目で、「概要 ・墳丘 前方後円墳(墳長63.5m) ・葺石 あり(円礫) ・出土遺物 円筒埴輪・朝顔形埴輪・楕円筒埴輪・家形埴輪・楯形埴輪 ・築造時期 4世紀中頃 後円部北側に、東谷山山頂からのびる尾根を切断した掘割がめぐっています。東谷山麓から運んできた円礫を用いた葺石の上には石英が撒かれ、後円部頂部には石英が敷かれていたと推定されます。後円部の北側では、4条の突帯がめぐり、各段に3個ずつ三角形の透孔があけられた円筒埴輪が極めて良好な状態で残存していました。中社古墳の埴輪は、同時期の大王墓が営まれた大和盆地東南部からの影響が色濃く、東海地方では最古段階のものです。」と記されています。かつては、墳長60mの前方後方墳とする見解もありましたが、発掘調査によって墳長と墳形が確定しています。「志段味古墳群」を構成する古墳のひとつとして、2014年に国の史跡に指定されています。
古墳は東谷山の尾根上に立地し、約100m北の山頂付近に尾張戸神社古墳、約200m南に南社古墳が同一丘陵上に築造されています。また、約600m西に白鳥塚古墳(ランキング231位)があります。
最初の訪問時、丘陵の北側から車で砂利道を南進しましたが、途中で一般車両は通行止めになっていたので道のカーブ付近に駐車しました。ところが、上から車両が下りてきてあわてて車を移動した際に、キーを車中にインロック(当時は電波によるオートロックは高級車しか付いていませんでした。)して、JAFのお世話になってしまいました。再訪時は、東谷山フルーツパークの駐車場を利用して、南側から北上しました。登山道になっているので迷うことはありませんが、結構坂道がきつくてハードでした。標高200m程度といえども、さすがに東谷山は名古屋で最高峰の場所でした。余談になりますが、この東谷山の古墳群と愛知県犬山市の東之宮古墳(ランキング[610]位)と立地条件が共通していると思いました。前者は庄内川が平地に流れ始める所を望む山頂、後者は木曽川が濃尾平野にむかう扇状地の要を望む山頂に立地しています。
石柱。
名古屋市教委の説明板2つ。

後円部右側。左側。

前方部右側。左側。前方部から後円部。


後円部墳頂。
後円部復元埴輪。後円部葺石列。西から。

後円部端近景。北西から。
全景。右手前が前方部、左奥が後円部。南から。
以上2017年12月撮影。
木柱。名古屋市教委の旧説明板。

後円部右側。左側。

前方部。
以上2013年6月撮影。
古墳は東谷山の尾根上に立地し、約100m北の山頂付近に尾張戸神社古墳、約200m南に南社古墳が同一丘陵上に築造されています。また、約600m西に白鳥塚古墳(ランキング231位)があります。
最初の訪問時、丘陵の北側から車で砂利道を南進しましたが、途中で一般車両は通行止めになっていたので道のカーブ付近に駐車しました。ところが、上から車両が下りてきてあわてて車を移動した際に、キーを車中にインロック(当時は電波によるオートロックは高級車しか付いていませんでした。)して、JAFのお世話になってしまいました。再訪時は、東谷山フルーツパークの駐車場を利用して、南側から北上しました。登山道になっているので迷うことはありませんが、結構坂道がきつくてハードでした。標高200m程度といえども、さすがに東谷山は名古屋で最高峰の場所でした。余談になりますが、この東谷山の古墳群と愛知県犬山市の東之宮古墳(ランキング[610]位)と立地条件が共通していると思いました。前者は庄内川が平地に流れ始める所を望む山頂、後者は木曽川が濃尾平野にむかう扇状地の要を望む山頂に立地しています。
石柱。
名古屋市教委の説明板2つ。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。前方部から後円部。
後円部墳頂。
後円部復元埴輪。後円部葺石列。西から。
後円部端近景。北西から。
全景。右手前が前方部、左奥が後円部。南から。
木柱。名古屋市教委の旧説明板。
後円部右側。左側。
前方部。
Posted by じこま at 08:08│Comments(0)