2019年03月22日

[1227-2] 公卿塚(くげづか)古墳 埼玉県本庄市 円墳 径50→(65)m

 消滅古墳です。現在、跡地は住宅地になっています。本庄市のHP.の「本庄市の古墳」の「金鑽神社古墳(かなさなじんじゃこふん)『5世紀前半』」の項目で、「この円筒埴輪の表面には、朝鮮半島の土器製作技法に起源する『格子タタキ技法』が用いられていることから、金鑽神社古墳の埴輪の製作に、朝鮮半島出身の土器製作技術者が参加していたことが考えられています。『格子タタキ技法』を用いて製作された埴輪は、このほかにも、かつて北堀にあった公卿塚古墳(直径65メートル)や生野山丘陵上に所在する生野山将軍塚古墳(直径60メートル)からも出土しています。」と記されています。
 埼玉県北部の本庄市は、県内でも比較的大型円墳が多く築造されている地域です。この公卿塚古墳の他に、三杢山古墳(ランキング826位)・金鑚神社古墳(ランキング861位)・生野山将軍塚古墳(ランキング1093位)があります。

 跡地付近。南東から。→削除しました。   北堀1714-4付近。

 跡地付近。南から。→削除しました。    以上2016年11月撮影。


   追記(2022年10月24日)

 本庄市教育委員会が1991年に発行した『本庄遺跡群発掘調査報告書 Ⅴ』(奈良文化財研究所の「全国遺跡報告総覧」所収)の「所収遺跡」の項目で、「遺跡名 公卿塚古墳 (略) 遺跡所在地 埼玉県本庄市大字北堀久下塚1689-1」と記されています。そのため、上掲の絵「北堀1714-4付近」から約100m北西の場所が古墳跡地でした。混乱を避けるために、上掲の絵は削除しました。
 いつか再訪して、正確な場所の絵を掲載したいと思います。


   追記の追記

 2023年2月13日のブログに、正確な場所の絵を掲載しています。



Posted by じこま at 08:08│Comments(0)
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