2019年03月30日
1230 花岡山古墳 岐阜県大垣市 59(60)m
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「花岡山古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:後円部:2段 墳長:59.5m 後円部:径30.5m 高4.7m 前方部:幅26m 高2m」と記されています。いつも参考にさせてもらっている「古墳探訪」では、全長59.2mとなっています。資料によって位置情報が若干異なっており、工場建設によって破壊された古墳という理解で絵を撮りました。ひょっとすると、この北側の丘陵地に現存しているかもしれません。
古墳は、金生山の南端の花岡山の尾根先端に立地していました。現在は、石灰石工場が建設されています。金生山は石灰石の産地として知られており、現在でも採掘がおこなわれています。八賀晋さんは、東海地方、特に西濃地域の弥生時代終末期の赤彩土器(おっさん註 東海地方では、「パレス壺」が代表的で弥生時代後期から古墳時代前期前半にかけて製作される。)の顔料に、金生山から採掘された赤鉄鉱が使用された可能性を指摘し、「金生山赤鉄鉱は、弥生終末期までに赤色顔料を通して、また、古墳時代には鉄生産の素材として、地域首長の葛藤の中心にあった。」(「東海の赤彩土器 ー顔料の採取と儀礼の確立ー」『第17回 春日井シンポジウム 資料集』所収p.104)と述べています。
約150m北に花岡山山頂古墳、約300m南西に昼飯大塚古墳(ランキング71位)があります。
工場の注意板。
跡地付近か。南東から。
跡地付近か。東から。
遠景。東から。
以上2015年5月撮影。
古墳は、金生山の南端の花岡山の尾根先端に立地していました。現在は、石灰石工場が建設されています。金生山は石灰石の産地として知られており、現在でも採掘がおこなわれています。八賀晋さんは、東海地方、特に西濃地域の弥生時代終末期の赤彩土器(おっさん註 東海地方では、「パレス壺」が代表的で弥生時代後期から古墳時代前期前半にかけて製作される。)の顔料に、金生山から採掘された赤鉄鉱が使用された可能性を指摘し、「金生山赤鉄鉱は、弥生終末期までに赤色顔料を通して、また、古墳時代には鉄生産の素材として、地域首長の葛藤の中心にあった。」(「東海の赤彩土器 ー顔料の採取と儀礼の確立ー」『第17回 春日井シンポジウム 資料集』所収p.104)と述べています。
約150m北に花岡山山頂古墳、約300m南西に昼飯大塚古墳(ランキング71位)があります。
工場の注意板。
跡地付近か。南東から。
跡地付近か。東から。
遠景。東から。
Posted by じこま at 08:08│Comments(0)