2019年04月13日
[1249-1] 文殊塚古墳 大阪府堺市 55→(59)m
堺市HP.の「文殊塚古墳」の項目で、「百舌鳥古墳群の南端にあり、主要な古墳の集中地帯からは、離れて築かれています。 百済川左岸の台地上にある前方部を西に向けた前方後円墳です。 墳丘は全長約59.1メートル、後円部径約36.3メートル、高さ約5メートル、前方部幅約27.3メートル、高さ約4メートルの規模で、明確な周濠はありません。 かつて、須恵質の埴輪が採集されていますが、主体部の構造や副葬品などについてはわかっていません。 南側と西側は道路で、柵越しに墳丘を眺めることが出来ます。」と記されています。ただし、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「文殊塚古墳」の項目では、「墳丘 形状:前方後円 墳長:53m 後円部:径30m 高3.5m 前方部:幅30m 長22m 高3m」と記されています。また、下の文部省などによる説明石碑では、「全長五五メートル後円部径三五メートル高さ四.三メートル前方部三十メートル高さ三.三メートル」と表記されています。ここでは、発掘調査によるデータの「59.1m」と考えていきます。「百舌鳥古墳群」を構成する古墳のひとつとして、国の史跡に指定されています。
約500m北北西に石津ミサンザイ古墳(ランキング3位)、約1km東に土師ニサンザイ古墳(ランキング9位)がありますが、上記のように百舌鳥古墳群の南端に位置し、台地端に立地しているため単独墳的な存在です。周囲は柵が設置してあるため、墳丘には立ち入れませんでした。また、周辺は道路と住宅地になっているため、なかなかいい絵は撮れませんでした。「言い訳は止めりん」。
石柱。文部省・大阪府教委・堺市教委の説明石碑。![[1249-1] 文殊塚古墳 大阪府堺市 55→(59)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390060_19.JPG)
![[1249-1] 文殊塚古墳 大阪府堺市 55→(59)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390059_23.JPG)
前方部右隅から後円部、西から。前方部左隅から後円部、西から。![[1249-1] 文殊塚古墳 大阪府堺市 55→(59)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390061_17.JPG)
![[1249-1] 文殊塚古墳 大阪府堺市 55→(59)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390062_21.JPG)
後円部(やや横から)、南東から。前方部(横から)、南から。![[1249-1] 文殊塚古墳 大阪府堺市 55→(59)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390063_18.JPG)
![[1249-1] 文殊塚古墳 大阪府堺市 55→(59)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390065_20.JPG)
全景、手前が後円部、左奥が前方部、東から。
以上2017年9月撮影。
約500m北北西に石津ミサンザイ古墳(ランキング3位)、約1km東に土師ニサンザイ古墳(ランキング9位)がありますが、上記のように百舌鳥古墳群の南端に位置し、台地端に立地しているため単独墳的な存在です。周囲は柵が設置してあるため、墳丘には立ち入れませんでした。また、周辺は道路と住宅地になっているため、なかなかいい絵は撮れませんでした。「言い訳は止めりん」。
石柱。文部省・大阪府教委・堺市教委の説明石碑。
前方部右隅から後円部、西から。前方部左隅から後円部、西から。
後円部(やや横から)、南東から。前方部(横から)、南から。
全景、手前が後円部、左奥が前方部、東から。
Posted by じこま at 08:08│Comments(0)