2019年04月21日
追加・補遺 朝倉・広瀬古墳群のおまけ③「上川淵18号墳と朝倉滝古墳(上川淵4号墳)」 群馬県前橋市
① 上川淵18号墳 55(75)m
消滅古墳です。跡地は住宅地になっています。
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「上川淵村18号墳〈綜覧〉」の項目では、「墳丘 形状:前方後円 墳長:75m 後円部:径45m 高3m 前方部:幅65m 長30m 高4m 特記事項【周濠】楯形。【その他】1960年代に宅地造成のため湮滅。」と記されています。
跡地付近。右奥が前方部跡、左手前が後円部跡。北西から。 朝倉町1丁目6-1付近。
後円部跡付近。北から。 朝倉町1丁目6-2付近。 以上2019年3月撮影。
② 朝倉滝古墳(上川淵4号墳) 45m(前方後方墳 55m)
消滅古墳です。跡地は集合住宅になっています。
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「朝倉瀧古墳(滝古墳・上川淵村4号墳〈綜覧〉)」の項目では、「墳丘 形状:前方後方 墳長:55m 後円部:径30m 高4m 前方部:幅20m 長25m 高3m 特記事項【その他】墳丘湮滅(時期など不明)。」と記されています。
跡地付近。東から。 朝倉町1丁目37-14付近。
跡地付近。西から。 右端が朝倉町1丁目37-1。 以上2019年3月撮影。
これで、「朝倉・広瀬古墳群シリーズ」を終了します。次回からは、従来どおりのランキング形式で、規模が58mの古墳について書いていきたいと思います。
消滅古墳です。跡地は住宅地になっています。
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「上川淵村18号墳〈綜覧〉」の項目では、「墳丘 形状:前方後円 墳長:75m 後円部:径45m 高3m 前方部:幅65m 長30m 高4m 特記事項【周濠】楯形。【その他】1960年代に宅地造成のため湮滅。」と記されています。
跡地付近。右奥が前方部跡、左手前が後円部跡。北西から。 朝倉町1丁目6-1付近。
後円部跡付近。北から。 朝倉町1丁目6-2付近。 以上2019年3月撮影。
② 朝倉滝古墳(上川淵4号墳) 45m(前方後方墳 55m)
消滅古墳です。跡地は集合住宅になっています。
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「朝倉瀧古墳(滝古墳・上川淵村4号墳〈綜覧〉)」の項目では、「墳丘 形状:前方後方 墳長:55m 後円部:径30m 高4m 前方部:幅20m 長25m 高3m 特記事項【その他】墳丘湮滅(時期など不明)。」と記されています。
跡地付近。東から。 朝倉町1丁目37-14付近。
跡地付近。西から。 右端が朝倉町1丁目37-1。 以上2019年3月撮影。
これで、「朝倉・広瀬古墳群シリーズ」を終了します。次回からは、従来どおりのランキング形式で、規模が58mの古墳について書いていきたいと思います。
Posted by じこま at 08:08│Comments(18)
この記事へのコメント
朝倉・広瀬古墳群には他にも、
少林山古墳(円墳 鶴巻塚古墳北に近接して所在、消滅)
朝倉天神山古墳(円墳 直径26m 消滅)
飯玉神社古墳(円墳? 現存)
小旦那古墳(円墳 推定25m 消滅)
鶴巻山古墳(前方後円墳 80m前後 消滅)
大塚北古墳(方墳 14m×14m 消滅)
オトウカ山古墳(円墳 直径30m 消滅)
禅養寺東古墳(前方後円墳 ※総覧記載漏れ)
山王大塚古墳(円墳 44m 消滅)
蹄石古墳(円墳 10m 消滅)
行人塚古墳(円墳 34m 消滅)
薬師山古墳(円墳 25m 消滅)
狐塚古墳(円墳 24m 消滅)
などがあります(ありました)。もともと200基ほどで構成されていた朝倉・広瀬古墳群も、今では10基前後しか残っていません。
少林山古墳(円墳 鶴巻塚古墳北に近接して所在、消滅)
朝倉天神山古墳(円墳 直径26m 消滅)
飯玉神社古墳(円墳? 現存)
小旦那古墳(円墳 推定25m 消滅)
鶴巻山古墳(前方後円墳 80m前後 消滅)
大塚北古墳(方墳 14m×14m 消滅)
オトウカ山古墳(円墳 直径30m 消滅)
禅養寺東古墳(前方後円墳 ※総覧記載漏れ)
山王大塚古墳(円墳 44m 消滅)
蹄石古墳(円墳 10m 消滅)
行人塚古墳(円墳 34m 消滅)
薬師山古墳(円墳 25m 消滅)
狐塚古墳(円墳 24m 消滅)
などがあります(ありました)。もともと200基ほどで構成されていた朝倉・広瀬古墳群も、今では10基前後しか残っていません。
Posted by 上州の人 at 2019年05月01日 23:15
連絡ありがとうございます。 朝倉・広瀬古墳群には本当に多くの大型古墳があり、古墳県の上州でも最大級の古墳群だと思います。そのため、すべての古墳を訪問することは、最初からあきらめていました。前橋市教育委員会の『群馬の古墳時代はここから始まった 朝倉・広瀬古墳群』を参考にして大型古墳と現存する古墳を中心に訪問しました。鶴巻山古墳は、上記『朝倉・広瀬古墳群』によると、「鶴巻山古墳【上川淵108号墳】 (前方後円) 径40m」となっていたので、パスしてしまいました。また、善養寺東古墳は訪問しましたが、撮影した場所が違っていたようなので割愛しました。
Posted by じこま at 2019年05月02日 09:59
鶴巻山古墳は昭和10年の一斉調査時には既に前方部は開墾のために破壊されていたため、残存していた後円部の直径のみを計測しました。後円部は直径41mであり、同年代の大屋敷古墳と同規模であったため、6世紀に築造された全長推定83mの前方後円墳とされています。
Posted by 上州の人 at 2019年05月02日 16:14
ご指摘ありがとうございます。前橋市教委の『朝倉・広瀬古墳群』の「(前方後円) 径40m」という記述は、おかしいな?と思いながら書きましたが、「上州の人」さんのおかげで謎が解けました。ありがとうございます。
Posted by じこま at 2019年05月02日 17:20
もうひとうの方の裸養寺東古墳は、一斉調査時には既に削平されており、明治時代の戸籍図にも周堀の痕跡と思われる区割りがあるのみで、恐らく幕末時には破壊されていたと思われます。なお、詳細については、判明しているだけで、全長64m以上、後円部直径約37m、前方部29m以上、造り出し有り、周堀有り(形については不詳)、などです。
Posted by 上州の人 at 2019年05月02日 17:56
善養寺東古墳についてのご指摘ありがとうございます。前橋市教委の『朝倉:広瀬古墳群』の地図を参考に現地を訪問したつもりでしたが、善養寺の南西にある日枝神社境内の高まりを古墳跡と思い込んでいました。遅くても明治時代には墳丘がなかったんですね。消滅古墳の現在地を確認するのは苦労します。ただ、その痕跡らしい所を見つけると元気が出るんですが、思い込みによる誤解も多くて・・・。
Posted by じこま at 2019年05月02日 18:53
あと、最初に挙げた古墳の中の、「飯玉神社古墳」ですが、こちらは朝倉・広瀬古墳群にいったときに訪れないと損をします。現状円墳ですが、もとは墳丘100m以上の大型古墳です。これは、同古墳群中No.3の規模を誇ります。また、一時期削平の計画の持ち上がった古墳でもあり、神社の土台となっていることから、墳丘はギリギリ破壊を免れました。
話が変わるのですが、群馬は大型古墳ばかり破壊されてしまいました。これらは、ほんの一部です。
上並榎稲荷山古墳
高崎市上並榎町220付近 全長約120m
割地山古墳
太田市南矢島604-1外 全長105m~115m
東矢島観音山古墳
太田市東矢島404付近 全長97m
上剛志(上武士)天神山古墳
伊勢崎市境上武士882 全長127.7m
下郷天神塚古墳
佐波郡玉村町八幡原1836 全長約100m
岩鼻二子山古墳
高崎市岩鼻町~綿貫町ぐんまの森地内(住所不詳) 全長115m
米沢二ツ山古墳
太田市西新町82-2 全長推定98m
頼母子(大塚山)古墳
太田市牛沢町464外 規模不詳(全長90m以上)
話が変わるのですが、群馬は大型古墳ばかり破壊されてしまいました。これらは、ほんの一部です。
上並榎稲荷山古墳
高崎市上並榎町220付近 全長約120m
割地山古墳
太田市南矢島604-1外 全長105m~115m
東矢島観音山古墳
太田市東矢島404付近 全長97m
上剛志(上武士)天神山古墳
伊勢崎市境上武士882 全長127.7m
下郷天神塚古墳
佐波郡玉村町八幡原1836 全長約100m
岩鼻二子山古墳
高崎市岩鼻町~綿貫町ぐんまの森地内(住所不詳) 全長115m
米沢二ツ山古墳
太田市西新町82-2 全長推定98m
頼母子(大塚山)古墳
太田市牛沢町464外 規模不詳(全長90m以上)
Posted by 上州の人 at 2019年05月02日 20:00
詳細な情報ありがとうございます。飯玉神社古墳は、10年ほど前に訪問して、「上川淵97号墳」としてデータ保存していましたが、これだけの大型古墳という認識がなく取り上げていませんでした。頼母子(大塚山)古墳も、牛沢十字路(頼母子塚)古墳と同一ならば、4年前に訪問しましたが、飯玉神社古墳と同じ理由で未掲載です。また、米沢二ッ山古墳は勉強不足で未訪問でした。ご教示ありがとうございました。他の古墳についてはこのブログで掲載しましたが、誤解・誤認があると思いますので、ご指摘いただければ幸いです。
上並榎稲荷山古墳→ランキング[166-1]。2018年3月11日のブログ。
割地山古墳→ランキング[229-1]。2018年3月27日。
東矢島観音山古墳→ランキング[321]。2018年4月14日。
上剛志(上武士)天神山古墳→ランキング[129]。2018年2月27日。
下郷天神塚古墳→ランキング[287]。2018年4月5日。
岩鼻二子山古墳→ランキング[182]。2018年4月21日。
上並榎稲荷山古墳→ランキング[166-1]。2018年3月11日のブログ。
割地山古墳→ランキング[229-1]。2018年3月27日。
東矢島観音山古墳→ランキング[321]。2018年4月14日。
上剛志(上武士)天神山古墳→ランキング[129]。2018年2月27日。
下郷天神塚古墳→ランキング[287]。2018年4月5日。
岩鼻二子山古墳→ランキング[182]。2018年4月21日。
Posted by じこま at 2019年05月02日 20:57
一通り見ました。多分大丈夫ですが、上武士天神山古墳について、一つ付け足しがあります。
実際の墳丘は、標識のある地点から北西に100mほどの位置にあり、周辺の埋め立て用土として採土が行われ、本来であれば昭和9年に工事終了(=削平)予定を1年ずらして墳丘の実査、発掘が行われたが、既に後円部は破壊されていたそうです。
実際の墳丘は、標識のある地点から北西に100mほどの位置にあり、周辺の埋め立て用土として採土が行われ、本来であれば昭和9年に工事終了(=削平)予定を1年ずらして墳丘の実査、発掘が行われたが、既に後円部は破壊されていたそうです。
Posted by 上州の人 at 2019年05月02日 22:38
あと、上並榎稲荷山古墳や、下郷天神塚古墳、越後塚古墳、ここには書かなかった上渕名双子山古墳などの群馬の消滅古墳の姿は、国土地理院の航空写真などで見ることができるので、そちらも見てみてはどうでしょうか。
上並榎稲荷山古墳は、墳丘、造り出し、周堀がクッキリ写ってるのでオススメです。
上並榎稲荷山古墳は、墳丘、造り出し、周堀がクッキリ写ってるのでオススメです。
Posted by 上州の人 at 2019年05月02日 22:48
ご指摘ありがとうございます。標識がある場所が跡地と思い込んでいました。グラウンドでは跡地を示す痕跡がないと思い、周辺をうろつくこともなく標識の絵を撮ってすぐに別の場所に移動してしまいました。
また、他の古墳については、「上州の人」さんのお墨付きをいただき、感謝申し上げます。
また、他の古墳については、「上州の人」さんのお墨付きをいただき、感謝申し上げます。
Posted by じこま at 2019年05月02日 22:59
こちらこそありがとうございます。
僕も先程ランクインしそうなグンマの古墳を探してみました。次の古墳はどうでしょうか。
太子堂塚古墳(富岡市 70m)
赤岩堂山古墳(板倉町 90m)
長賀寺山古墳(高崎市 推定86m)
岩神米山古墳(前橋市 推定80m)
大鷲向山1号墳(太田市 100m以上)
本矢場薬師塚古墳(太田市 75m)
朝子塚古墳(太田市 124m)
阿曽岡・権現堂遺跡1号墳(富岡市 60m)
大藪城山古墳(吉岡町 60m以上)
僕も先程ランクインしそうなグンマの古墳を探してみました。次の古墳はどうでしょうか。
太子堂塚古墳(富岡市 70m)
赤岩堂山古墳(板倉町 90m)
長賀寺山古墳(高崎市 推定86m)
岩神米山古墳(前橋市 推定80m)
大鷲向山1号墳(太田市 100m以上)
本矢場薬師塚古墳(太田市 75m)
朝子塚古墳(太田市 124m)
阿曽岡・権現堂遺跡1号墳(富岡市 60m)
大藪城山古墳(吉岡町 60m以上)
Posted by 上州の人 at 2019年05月02日 23:59
詳しいご指摘ありがとうございます。こちらは、夢の中で返信が遅れて申し訳ありません。
朝子塚古墳→ランキング134。2018年3月4日のブログ。
赤岩堂山古墳→ランキング347。2018年4月18日。
岩神米山古墳→ランキング776。2018年8月28日。及び追加・補遺776。2019年4月17日。
太子堂塚古墳→58mの古墳として今後掲載予定です。
また、本矢場薬師塚古墳・阿曽岡権現堂遺跡1号墳・大敷城山古墳は資料がなく未訪問でした。
そして、こちらがランキングの基本資料としているHP.『古墳探訪』では、長賀寺山古墳は径35mの円墳、大鷲向山1号墳は径30mの円墳となっていたので未訪問でした。
ご指摘いただいた古墳の数値データが異なっているケースも数例あるので、もしよろしければ数値データの出典を教えていただければ幸いです。
ひょっとすると、平成の『上毛古墳綜覧』というべき、『群馬県古墳総覧』でしょうか?。
朝子塚古墳→ランキング134。2018年3月4日のブログ。
赤岩堂山古墳→ランキング347。2018年4月18日。
岩神米山古墳→ランキング776。2018年8月28日。及び追加・補遺776。2019年4月17日。
太子堂塚古墳→58mの古墳として今後掲載予定です。
また、本矢場薬師塚古墳・阿曽岡権現堂遺跡1号墳・大敷城山古墳は資料がなく未訪問でした。
そして、こちらがランキングの基本資料としているHP.『古墳探訪』では、長賀寺山古墳は径35mの円墳、大鷲向山1号墳は径30mの円墳となっていたので未訪問でした。
ご指摘いただいた古墳の数値データが異なっているケースも数例あるので、もしよろしければ数値データの出典を教えていただければ幸いです。
ひょっとすると、平成の『上毛古墳綜覧』というべき、『群馬県古墳総覧』でしょうか?。
Posted by じこま at 2019年05月03日 09:15
主に上毛古墳総覧と群馬県史です。
長賀寺山古墳は前方部が破壊されていますが、道路が周堀の痕跡を留めています。大鷲向山1号墳については不明です。
あと、50位くらいにある白石稲荷山古墳ですが、「全長175m」は整形段を含めての数値でしょうか?白石稲荷山古墳の墳丘自体の長さは140mです。
群馬の古墳トップ5は以下の通りです。
1 太田天神山古墳 210m
2 浅間山古墳 171.5m
3 円福寺茶臼山古墳 168m
4 七輿山古墳 150m以上
5 白石稲荷山古墳 140m
長賀寺山古墳は前方部が破壊されていますが、道路が周堀の痕跡を留めています。大鷲向山1号墳については不明です。
あと、50位くらいにある白石稲荷山古墳ですが、「全長175m」は整形段を含めての数値でしょうか?白石稲荷山古墳の墳丘自体の長さは140mです。
群馬の古墳トップ5は以下の通りです。
1 太田天神山古墳 210m
2 浅間山古墳 171.5m
3 円福寺茶臼山古墳 168m
4 七輿山古墳 150m以上
5 白石稲荷山古墳 140m
Posted by 上州の人 at 2019年05月03日 13:48
連絡ありがとうございます。「上毛古墳綜覧」と「群馬県史」ですか。豊橋では、なかなかお目にかかれない資料ですね。
白石稲荷山古墳に限らず、古墳の全長(墳丘長)のデータは、基本的にHP.『古墳探訪』(2013年11月6日更新)を参考にさせてもらっています。この数値と差異がある場合には、( )として異なる数値を提示しています。他に、①奈良女子大学の前方後円墳データベース、②前方後円墳(Japanese ancient tombs)、③古墳マップ、④埼群古墳館(現在閉館中)、⑤報告書、➅都道府県や市町村のHP.などインターネットで閲覧できる資料や『愛知県史』、広瀬和雄・和田晴吾編『講座 日本の考古学7 古墳時代上』などを参考にしています。ただし「全長」という用語は、「墳丘長」という狭義の場合と周濠も含めた広義の場合があり統一されていないのでよく混乱しています。自分は、墳丘長という狭義の立場で全長という用語を使っているつもりです。
白石稲荷山古墳に限らず、古墳の全長(墳丘長)のデータは、基本的にHP.『古墳探訪』(2013年11月6日更新)を参考にさせてもらっています。この数値と差異がある場合には、( )として異なる数値を提示しています。他に、①奈良女子大学の前方後円墳データベース、②前方後円墳(Japanese ancient tombs)、③古墳マップ、④埼群古墳館(現在閉館中)、⑤報告書、➅都道府県や市町村のHP.などインターネットで閲覧できる資料や『愛知県史』、広瀬和雄・和田晴吾編『講座 日本の考古学7 古墳時代上』などを参考にしています。ただし「全長」という用語は、「墳丘長」という狭義の場合と周濠も含めた広義の場合があり統一されていないのでよく混乱しています。自分は、墳丘長という狭義の立場で全長という用語を使っているつもりです。
Posted by じこま at 2019年05月03日 17:45
まあ、白石稲荷山古墳の場合は… ビミョーなところで、盛土や整形をして完全な墳丘と認められる上2段と、墳丘築造のため整形した基段のような地形が存在し、僕が指摘した140mという距離は上2段の墳丘の大きさで、
そちらの175mは、整形段を含めた長さです。
ほとんどの古墳は墳丘の長さを、「全長」や「墳丘長」などと言い、「周壕を含めた長さ」、「墓域全体の大きさ」などと区別されるようです。
そちらの175mは、整形段を含めた長さです。
ほとんどの古墳は墳丘の長さを、「全長」や「墳丘長」などと言い、「周壕を含めた長さ」、「墓域全体の大きさ」などと区別されるようです。
Posted by 上州の人 at 2019年05月03日 18:42
昨日、白石稲荷山古墳のレーダーによる墳丘調査が終わり、何やらいろいろ発見があったようなので、新しく分かった内容を書いておきます。
墳丘長が155mと判明
築造年代が定説より古い5世紀初頭だと判明(更に調査を続ける方針)
前方部にもう一つの埋葬施設を発見
墳丘が3段で左右対称
なお、白石稲荷山古墳調査と同時に、同古墳の倍塚と思われる十二天塚古墳と十二天塚北古墳もレーダー調査を行ったそうです。
墳丘長が155mと判明
築造年代が定説より古い5世紀初頭だと判明(更に調査を続ける方針)
前方部にもう一つの埋葬施設を発見
墳丘が3段で左右対称
なお、白石稲荷山古墳調査と同時に、同古墳の倍塚と思われる十二天塚古墳と十二天塚北古墳もレーダー調査を行ったそうです。
Posted by 上州の人 at 2019年05月04日 09:59
連絡ありがとうございます。ご指摘をうけて、2018年2月14日のブログ、「54 白石稲荷山古墳」の項目で、追記(2019年5月3日)として産経新聞の記事を引用して、全長155mの墳丘測量結果について書いてあります。
Posted by じこま at 2019年05月05日 15:13