2019年06月11日

1303 神塚古墳(宮山1号墳) 島根県安来市 前方後方墳 57(56)m

 消滅古墳です。安来市立第三中学校の建設にともなって破壊されています。そのため、史跡指定はありません。古墳は、山陰本線「荒島」駅から約1km南東の独立丘陵上に位置していました。隣接する前方後方墳の宮山3号墳や四隅突出型墳丘墓の宮山Ⅳ号墓は、「仲仙寺古墳群 宮山支群」を構成する墳墓として、国の史跡に指定されています。
 弥生時代後期後半、この地に四隅突出型墳丘墓のⅣ号墓が築かれます。その後、古墳時代中期後半にこの1号墳が築造されたと考えられています。全国的には、前方後方墳の築造は前期までで中期以降は見られなくなるのが一般的です。しかし、この出雲東部では、前期から中期前半に主として方墳が築造され、中期後半から後期にかけて前方後方墳が造られる特殊な地域となっています。こうした特徴からいろいろ妄想が膨らみますが、「邪馬台国インドネシア説」や「義経チンギス・ハーン説」以上の「とんで×説」なので検閲不合格です。
 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「宮山1号墳(神塚古墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後方 築成:前方部:2段?、後円(ママ)部:2段? 墳長:57m 後円(ママ)部:径(ママ)30m 高5.5m 前方部:長復元28m 高4.5m 特記事項【造出】なし。【周濠】なし。【その他】破壊、現存せず。」と記されています。ただし、島根県安来市教育委員会の『史跡 荒島古墳群・仲仙寺古墳群 -整備事業報告書ー』では、「古墳時代前期の最後の首長墓である造山3号墳が築かれてから半世紀以上の大型古墳の空白期をへて清水山1号墳が築かれる。この空白が首長墓の空白期なのか、それとも未発見なのか不明である。また中期末から後期初頭にかけて出雲地域東部では、首長墓に全国的にほとんど築造されなくなった前方後方墳を採用する。こうした最初の前方後方墳が宮山1号墳である。(中略) 宮山1号墳(消滅)は墳長約56mの前方後方墳で、2段築成で上段に葺石を持つ。埋葬施設は未検出である。円筒埴輪・朝顔形埴輪・形象埴輪・土師器が出土している。円筒埴輪は基底部倒立再調整を施し、基底部をカットするものも含まれる。」(p.3)と述べられています。

 跡地付近。中央が中学校の校舎。
1303 神塚古墳(宮山1号墳) 島根県安来市 前方後方墳 57(56)m


 安来市教委の「宮山墳墓群」の説明板。
1303 神塚古墳(宮山1号墳) 島根県安来市 前方後方墳 57(56)m
            以上2013年11月撮影。



Posted by じこま at 08:08│Comments(0)
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