2020年06月01日

番外 中尾山古墳 奈良県明日香村 八角墳 約30m→32.5m以上

 脱線して「横口式石槨」シリーズが続きましたが、話を元に戻して墳丘のある終末期古墳を再び取り上げます。とはいっても、この中尾山古墳も「横口式石槨」を有する八角墳です。そして、古墳の被葬者は、多くの研究者が文武天皇と考えています。
 白石太一郎さんも、「七世紀の中ごろになると、畿内の特定の地域にそれまでみられなかった八角形の墳丘をもつ古墳が現れる(略)。奈良県桜井市段ノ塚古墳(現舒明大王陵)、同明日香村野口王墓古墳(現天武・持統天皇合葬陵)、同中尾山古墳、京都市御廟野古墳(現天智天皇陵)などがそれである。これらのうち段ノ塚古墳は舒明陵、御廟野古墳は天智陵、野口王墓古墳は天武・持統合葬陵、中尾山古墳は文武陵の可能性が大きく、七世紀中葉以降八世紀初頭まで即位した大王に限ってこうした八角墳が採用されたことになる。」(『古墳とヤマト政権』p.192)と述べています。
 また、明日香村のHP.の「中尾山古墳」の項目で、「今回は中尾山古墳について紹介したいと思います。  中尾山古墳は別名『中尾石墓』と呼ばれる終末期古墳です。周辺には高松塚古墳や天武・持統天皇陵など多くの終末期古墳が点在しています。(中略) 昭和49年には環境整備事業の一環として本格的な発掘調査が実施されました。調査の結果、墳丘は対辺長約30mの三段築成の八角形墳であることが明らかとなりました。 墳丘については下段部分が約47度の傾斜で正八角形状に川原石を巡らしており、中段部分は約50度の角度で八角形状に石を巡らしています。上段部分については未調査ですが八角形を呈していたと推定されます。墳丘の周囲には八角形状に二重の石敷が施されています。この石敷上からは沓形を呈した凝灰岩製の石造物が二点出土しており、形状等から墳頂に設置されていたと考えられます。 埋葬施設は凝灰岩と花崗岩の切石で造られた横口式石槨です。(中略) このように中尾山古墳については石槨構造や規模等から骨蔵器が納められていたと考えられており現在、三の丸尚蔵館に所蔵されている金銅製四環壺との関連が注目されています。被葬者については中尾山古墳の立地や年代、火葬墓であることなどから文武天皇檜隈安古上陵の蓋然性が高いと考えられています。」と記されています。
 古墳は、国の史跡に指定されています。            
          

 石柱。明日香村の説明板。
番外 中尾山古墳 奈良県明日香村 八角墳 約30m→32.5m以上
番外 中尾山古墳 奈良県明日香村 八角墳 約30m→32.5m以上


 ほぼ全景2つ。
番外 中尾山古墳 奈良県明日香村 八角墳 約30m→32.5m以上
番外 中尾山古墳 奈良県明日香村 八角墳 約30m→32.5m以上


 墳丘裾。
番外 中尾山古墳 奈良県明日香村 八角墳 約30m→32.5m以上


 全景。
番外 中尾山古墳 奈良県明日香村 八角墳 約30m→32.5m以上
            以上2014年6月撮影。


     追記

 毎日新聞(2020年11月27日(金)発行)によると、「文武天皇陵を特定 奈良県明日香村教委と関西大は26日、中尾山古墳(同村平田、8世紀初め)の発掘調査で、墳丘が正八角形の八角形墳と確認したと発表した。(中略)3段築成の墳丘の周囲に3重の石敷を巡らせていたことや、埋葬するための石室の具体的構造など全容が判明した。八角形の墳丘は飛鳥時代後半の天皇陵の特徴で、701年に大宝律令を制定したことで知られる文武天皇(683~707年)が被葬者であることが確定的になった。」、「今回の調査によると、墳丘の対辺の長さは約19.5メートル、高さは5メートル以上。1,2段目は大小の大量の石を垂直に積み上げた基壇状で、3段目だけ土を突き固めた盛り土のみで八角形を形成する特異な構造をしている。(中略)外周の石敷きはこれまで2重とされてきたが、新たに3重目が確認された。外周を含めると対辺の長さは32.5メートル以上となる。」と述べています。



Posted by じこま at 08:08│Comments(0)
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