2020年12月28日
補遺[1021-8] 山津照神社古墳 滋賀県米原市 45(46・約63)m
古墳が築造されている山津照神社の南側には、旧中山道・名神高速道路・東海道本線、東側には北陸自動車道が通り、文字どおり交通の要衝に立地しています。また、付近には「息長(おきなが)」という地名が残り、古墳の被葬者は、継体大王の妻や敏達大王の皇后を出した氏族「息長氏」と関連する人物が有力視されています。
米原市教育委員会の「米原市遺跡リーフレット7 県指定史跡・考古資料 山津照神社古墳」では、「横山丘陵南端尾根上にある前方後円墳(六世紀前半)で、東に後円部、西に前方部をもつ全長46mの古墳です。明治15年(1882)、神社の社殿の移転造営の伴い境内の拡張工事がおこなわれた際に、後円部に設けられた横穴式石室不時発見されました。(中略)古墳は滋賀県の指定史跡、明治15年の出土遺物は指定文化財〔考古資料〕になっています。」と記されています。
ただし、滋賀県教育委員会事務局文化財保護課による「学習シート№061 山津照神社古墳」では、「山津照神社古墳は、前方部端と後円部端が削平を受けており、正確な規模は不明ですが、全長が約63m程度で、前方部の幅が後円部の直径より大きな、典型的な後期の前方後円墳です。主体部は横穴式石室で、内部に石棺が納められていると考えられています。」と記されています。
下の絵の説明板でも、米原市教委は「古墳の全長は46.2m」、滋賀県教委は「全長約六十三メートルと推定できる」と書かれています。ここでは、現状の全長が46m、復元した場合の推定全長が約63mという理解で、ランキングしました。
石柱。石碑。![補遺[1021-8] 山津照神社古墳 滋賀県米原市 45(46・約63)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390189_35.JPG)
![補遺[1021-8] 山津照神社古墳 滋賀県米原市 45(46・約63)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390190_30.JPG)
滋賀県教委の説明板。米原市教委の説明板。![補遺[1021-8] 山津照神社古墳 滋賀県米原市 45(46・約63)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390191_26.JPG)
![補遺[1021-8] 山津照神社古墳 滋賀県米原市 45(46・約63)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390192_30.JPG)
後円部右側。左側。![補遺[1021-8] 山津照神社古墳 滋賀県米原市 45(46・約63)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390193_34.JPG)
![補遺[1021-8] 山津照神社古墳 滋賀県米原市 45(46・約63)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390194_25.JPG)
前方部右側。左側。![補遺[1021-8] 山津照神社古墳 滋賀県米原市 45(46・約63)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390195_33.JPG)
![補遺[1021-8] 山津照神社古墳 滋賀県米原市 45(46・約63)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390196_26.JPG)
前方部から後円部。![補遺[1021-8] 山津照神社古墳 滋賀県米原市 45(46・約63)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390198_29.JPG)
前方部左隅から後円部。![補遺[1021-8] 山津照神社古墳 滋賀県米原市 45(46・約63)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390200_29.JPG)
後円部墳頂。![補遺[1021-8] 山津照神社古墳 滋賀県米原市 45(46・約63)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390197_31.JPG)
2つで全景(横から)。前方部。後円部。![補遺[1021-8] 山津照神社古墳 滋賀県米原市 45(46・約63)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390201_25.JPG)
![補遺[1021-8] 山津照神社古墳 滋賀県米原市 45(46・約63)m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390202_25.JPG)
やや全景。(横から)。
以上2016年3月撮影。
米原市教育委員会の「米原市遺跡リーフレット7 県指定史跡・考古資料 山津照神社古墳」では、「横山丘陵南端尾根上にある前方後円墳(六世紀前半)で、東に後円部、西に前方部をもつ全長46mの古墳です。明治15年(1882)、神社の社殿の移転造営の伴い境内の拡張工事がおこなわれた際に、後円部に設けられた横穴式石室不時発見されました。(中略)古墳は滋賀県の指定史跡、明治15年の出土遺物は指定文化財〔考古資料〕になっています。」と記されています。
ただし、滋賀県教育委員会事務局文化財保護課による「学習シート№061 山津照神社古墳」では、「山津照神社古墳は、前方部端と後円部端が削平を受けており、正確な規模は不明ですが、全長が約63m程度で、前方部の幅が後円部の直径より大きな、典型的な後期の前方後円墳です。主体部は横穴式石室で、内部に石棺が納められていると考えられています。」と記されています。
下の絵の説明板でも、米原市教委は「古墳の全長は46.2m」、滋賀県教委は「全長約六十三メートルと推定できる」と書かれています。ここでは、現状の全長が46m、復元した場合の推定全長が約63mという理解で、ランキングしました。
石柱。石碑。
滋賀県教委の説明板。米原市教委の説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。
前方部左隅から後円部。
後円部墳頂。
2つで全景(横から)。前方部。後円部。
やや全景。(横から)。
Posted by じこま at 08:08│Comments(0)