2022年11月15日

番外 埼玉県の古墳④ 長坂聖天塚古墳 美里町 円墳 径約34m

 下記のように、墳頂部に6基の埋葬施設が確認されている興味深い古墳です。素人的には、古墳には一人の人物が埋葬されているというイメージが強いですが、2~3基の埋葬施設を有する古墳は珍しくないそうです。ただし、この古墳のように、6基というのはレアケースだと思います。         
 前にも引用しましたが、清家章さんは、「古墳には複数の人間が葬られることが一般的である。(中略)私が学生のころは、とくに首長墳は単体埋葬が基本と考えられており、そのように述べるテキストや論文があった。「たった一人の人物のために古墳は築造された」というイメージで語られていたのであった。しかし、調査と研究が進むにしたがって、単体埋葬の古墳はかえって少ないことが明らかとなってきた。それまでは古墳の中心部に注目が集まっていたが、その後、中心部以外の古墳平坦面や墳丘斜面、そして周溝の内外が詳しく調査されるようになり、複数埋葬の古墳が一般的であることが明らかとなっていったのだ。古墳時代終末期を除くと複数埋葬はむしろ普通なのである。」と述べています。『埋葬からみた古墳時代 女性・親族・王権』p.7
 埼玉県美里町のHP.の「長坂聖天塚古墳」の項目で、「美里町の東北部の諏訪山と呼ばれる丘陵の裾部に築かれた直径約34mの円墳(円形の古墳)です。昭和49年に調査を実施したところ、粘土槨や木棺直葬など6つの埋葬施設が発見されました。出土した遺物は、南側埋葬施設から方格規矩四神鏡系倭鏡や鉄製刀子、竪櫛などが、ほかの埋葬施設からは神頭鏡系倭鏡や石製勾玉やガラス製小玉などが出土しています。これらの出土遺物から古墳の築かれた時期は、4世紀の末から5世紀の初めころと考えられます。」と記されています。
 ただし、下記の説明板では、「墳丘は、自然の丘を整形し、1mほど盛土をして墳頂部をつくり、あわせて高さ4.5m、直径50mの規模にした円墳である。」と記されています。右島和夫さんも、「美里町長坂聖天塚古墳(五〇)には方格規矩鏡、石製模造品等がともなう。」と述べています。(九 関東 【関東北部】p.432、広瀬和雄・和田晴吾編『講座 日本の考古学7 古墳時代上』所収)
 おっさんも、径50mの円墳というつもりで訪問していました。ただ、前者の美里町HP.の更新時期が2021年2月23日となっているので、ここでは直径約34mとしました。
 古墳は、埼玉県の史跡に指定されています。


 石柱。
番外 埼玉県の古墳④ 長坂聖天塚古墳 美里町 円墳 径約34m

 埼玉県教委・美里町教委の説明板。
番外 埼玉県の古墳④ 長坂聖天塚古墳 美里町 円墳 径約34m


 墳頂。
番外 埼玉県の古墳④ 長坂聖天塚古墳 美里町 円墳 径約34m


 全景。南から。
番外 埼玉県の古墳④ 長坂聖天塚古墳 美里町 円墳 径約34m


 全景。北東から。
番外 埼玉県の古墳④ 長坂聖天塚古墳 美里町 円墳 径約34m
        以上2014年12月撮影。



Posted by じこま at 07:07│Comments(0)
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