2023年04月12日

番外 千葉県の古墳㉑ー3 神門3号墳[神門古墳群] 市原市 47m以上(54m)

 4号墳と同じく「消滅古墳」で、現在は駐車場になっています。4号墳の約50m北に位置していました。また、北東に隣接して上総国分(僧)寺が建立されており、この地が律令時代にも重要な場所であったと考えられます。
 市原市のHP.の「I’Museum」の「神門古墳群(弥生・古墳)」の項目で、「 国分寺台地区の西縁に築かれた前方後円形の墳墓群です。弥生時代終末期に、5号墳・4号墳・3号墳が順に築造されたと推定されています。いずれも墳丘は高く盛り上げられており、奈良時代に建立された上総国分寺の寺域はこれらをよけて設計されています。 3基のうち、全長が47メートルを超える3号墳(上記の写真)からは鉄槍・鉄剣・ガラス玉など多数の副葬品が出土しており、埋葬施設を埋めたあとの儀式で使われた大量の土器も見つかっています。これらの土器には手焙形土器や櫛描文装飾の壺形土器など弥生時代終末期の東海地方西部以西の特徴を持つ土器が含まれています。近い時期に市内では、神門3号墳と似た丸い墳丘を持つ小田部古墳のような墳墓と、諏訪台33号墳や東間部多15号墳のような前方後方形の墳墓が両方みとめられます。」と記されています。
 また、奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「神門3号墳」の項目でも、「墳丘 形状:前方後円 墳長:47、5以上 後円部:径34m 高5、1m 前方部:幅12以上 長15以上 特記事項【周濠】あり。」と記されています。
 ただし、田中裕さんは、「養老川流域の神門古墳群には、「纏向型前方後円墳」(寺澤1988)として知られる神門5号墳(43m)・4号墳(46m)・3号墳(54m)が順に築かれた。」(「千葉県域の前期古墳と集落・土器群の動向」p.146、『野本将軍塚古墳と東国の前期古墳』所収)と述べています。そのため、タイトルを「47m以上(54m)」としました。


 跡地付近。東から。
番外 千葉県の古墳㉑ー3 神門3号墳[神門古墳群] 市原市 47m以上(54m)
        総社4-8-18付近。

 跡地付近。西から。
番外 千葉県の古墳㉑ー3 神門3号墳[神門古墳群] 市原市 47m以上(54m)
        以上2023年2月撮影。



Posted by じこま at 07:07│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。