2023年04月24日

番外 千葉県の古墳㉓ー1 日立精機1号墳 我孫子市 前方後方墳 45m

 消滅古墳です。現在は、高層マンションの敷地内となっているので、「不審者」のおっさんは立ち入ることができませんでした。
 前方後方墳は、東日本の前期古墳によくみられる墳形です。ただし、この古墳は例外的に、下記のデータベースで「10後半以降」と示されているように、後期末以降に築造されたと考えられています。池上悟さんは、「図7 南関東の古墳編年」の中で、この古墳を11期と図示しており、終末期に位置づけています。(「九関東 【関東南部】」p.454、広瀬和夫・和田晴吾編 『講座日本の考古学7 古墳時代上』所収)
 ちなみに、千葉県で日立精機1号墳とほぼ同じ時期に築造された前方後方墳として、市原市の六孫王原古墳(2019年3月13日のブログで紹介)があり、規模もほぼ同じです。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「日立精機1号墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後方 墳長:45m 後円(ママ)部:径(ママ)18m 高2.5m 前方部:幅23m 長27m 高2m 時期 10後半以降 特記事項【周濠】あり(形態不明、全周か)。」と記されています。
 余談ですが、前にも書いたことがありますが「○○期」は、古墳研究のバイブル的存在『前方後円墳集成』で示された時期区分(編年)で、1~4期前半が古墳時代前期、4期後半~8期が中期、9・10期が後期とおっさんは理解しています。
 広瀬和雄さんは、上記『講座』の「序」の中で、「この講座では各地の古墳を12期に編年している。1期から10期は、『前方後円墳集成』編年(広瀬和雄 一九九二年「前方後円墳の畿内編年」 近藤義郎編『前方後円墳集成』近畿編、山川出版社)の1~10期に並行し、4期は和田編年(和田晴吾 一九八七年「古墳時代の時期区分をめぐって」 『考古学研究』第三四巻第二号)の4・5期に並行する。11期は陶邑編年のTK217並行期とし、12期はそれ以降とする」(序ⅹⅴⅰ)と述べています。


 跡地付近。我孫子2丁目‐5付近。
番外 千葉県の古墳㉓ー1 日立精機1号墳 我孫子市 前方後方墳 45m


 跡地付近。
番外 千葉県の古墳㉓ー1 日立精機1号墳 我孫子市 前方後方墳 45m
        以上2023年2月撮影。



Posted by じこま at 07:07│Comments(0)
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