2023年08月22日

番外 長野県の古墳②ー14 大室18号墳[大室古墳群北山支群] 長野市 56m

 「番外 長野県の古墳②ー1」でも書きましたが、大室古墳群は500基余の古墳が、5つの支群に大別されています。そのうち、大室谷支群に属する古墳の大部分が国の史跡に指定されています。ただし、この18号墳は、大室古墳群で唯一の前方後円墳であるにもかかわらず、北山支群に位置づけられているので、史跡指定されていません。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「大室18号墳(大星山古墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:55.5m 後円部:径27.5m 高5m 前方部:幅16m 長23m 高3m 特記事項【造出】なし。【周濠】なし。【周堤】なし。」と記されています。
 このブログを書き進める途次、頭が混乱し冷や汗が出てきました。決して熱中症ではありませんが・・・。下の標識の絵を見ると、後円部付近に「8号古墳」、前方部に「9号古墳」と表示されています。ひょっとして、隣接する2基の古墳を「前方後円墳」と思い込んで絵を撮ったのではないかと。
 下記の「解説」によると、8号墳と9号墳の標高差は、最小でも「435-380≒55」mとなり、とても隣接している状況ではありません。また、下の絵は、尾根頂部のようです。従って、この2つの標識は、旧来の名称で示されたもので、現在の18号墳であると自分勝手に判断しました。「都合よすぎる解釈だらー」。
 長野市のHP.にある「長野市文化財データベース」の「頭で感じる文化財 デジタル図鑑(頭感)」の「大室古墳群 北山支群」の項目で、「解説 (前略)奇妙山から派生する尾根の最突端、標高370~380m付近には5~8・イ号墳の5基が立地しています。基本的には直径10m規模の盛土円墳であり、川原石が散乱している点が特徴です。さらに尾根をあがった標高435~460m付近は扇平と俗称されており、直径10mないしはそれ以下の円墳である9~17・ロ号墳の10基が分布しています。 さらに、大星山方向の標高490m付近の尾根頂部には18号墳が立地しており、昭和26年(1951)に実施された明治大学生による墳丘測量では全長56mを測る前方後円(方?)墳であることがわかりました。 大室滝辺山双子塚と称されるこの古墳は18号という番号を冠しているものの、墳丘の規模や形態、若穂側の平地を意識した立地など、大室古墳群とは性格が異なる古墳である可能性が考えられるため、将来的には再考が必要となるでしょう。(以下略)」と記されています。
  
 余談ですが、上記「解説」の最後に、「18号墳は大室古墳群とは異なる性格で再考が必要」という指摘があり驚きました。風間栄一さんは、「北山18号墳は5世紀前半代の築造と想定されているが、表採遺物や出土遺物等はない。立地上、近在する和田東山古墳群との関係性が重視されている。和田東山古墳群の3基の前方後円墳は墳丘形態より1号墳→3号墳→4号墳の順に、前期中頃から中期前半にかけて継続して築造されたと考えられている。」(「2 大室古墳群の実態」、土生田純之編『積石塚大全』所収 p.37)と述べており、今後の大室18号墳の評価・位置づけが気になります。


 後円部の標識。前方部の標識。
番外 長野県の古墳②ー14 大室18号墳[大室古墳群北山支群] 長野市 56m
番外 長野県の古墳②ー14 大室18号墳[大室古墳群北山支群] 長野市 56m


 後円部右側。左側。
番外 長野県の古墳②ー14 大室18号墳[大室古墳群北山支群] 長野市 56m
番外 長野県の古墳②ー14 大室18号墳[大室古墳群北山支群] 長野市 56m

 前方部右側。左側。
番外 長野県の古墳②ー14 大室18号墳[大室古墳群北山支群] 長野市 56m
番外 長野県の古墳②ー14 大室18号墳[大室古墳群北山支群] 長野市 56m


 前方部から後円部。南から。
番外 長野県の古墳②ー14 大室18号墳[大室古墳群北山支群] 長野市 56m

 後円部墳頂。
番外 長野県の古墳②ー14 大室18号墳[大室古墳群北山支群] 長野市 56m


 遠景。北西から。
番外 長野県の古墳②ー14 大室18号墳[大室古墳群北山支群] 長野市 56m
        以上2016年4月撮影。



Posted by じこま at 06:07│Comments(0)
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