2024年07月17日
番外 愛知県の古墳㉚ー5 比蘇山古墳[桜井古墳群] 安城市 前方後方墳または前方後円墳 推定40または60m
古墳は、碧海台地東縁の舌状の微高地に立地し、前回の碧海山古墳の約320m西、桜井二子古墳の約230n南に位置する桜井神社の境内地にあります。古墳には社殿が建立され、墳丘は改変されています。
また、古墳の東側に隣接して、鹿乗川流域遺跡群の中狭間遺跡が広がっています。この中狭間遺跡では、古墳時代前期の竪穴住居跡が多数検出され、岡安正彦さんは「この時期の中心的な集落であったと考えられる。」(「鹿乗川流域遺跡群の概要」p.37、安城市教育委員会・土生田純之編『三河国、ここにはじまる!』所収)と指摘しています。
安城市教育委員会の『桜井古墳群保存管理計画書』の「名称 比蘇山古墳」の項目で、「古墳の墳形 前方後円(方)墳か。『資料編 桜井町の古墳』では桜井神社本殿に後円部、拝殿に前方部があったと伝わる。その中で古老の話として、本殿改築時に後円部を平坦にしたことを伝える。」、「古墳の規模 二子古墳と同等の全長60mほどとする見解に従う。」(資料編p.9)と記されています。
また、西島庸介さんは、「桜井古墳群の概要」(安城市教育委員会・土生田純之編『三河国、ここにはじまる!』所収)の「表1 桜井古墳群一覧」で、「古墳名 比蘇山古墳、墳形 前方後方墳か、墳丘規模(m) 40」(p.12)と記しています。
そのため、ここでは両論併記としました。
余談ですが、この比蘇山古墳が桜井二子古墳と同等の60m規模とするならば、「番外」扱いではなく「ランキング古墳」とすべきですが、確定した数値でないため、ここでは慎重に取り扱いました。
後方(円)部右側。左側。![番外 愛知県の古墳㉚ー5 比蘇山古墳[桜井古墳群] 安城市 前方後方墳または前方後円墳 推定40または60m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390673_2.JPG)
![番外 愛知県の古墳㉚ー5 比蘇山古墳[桜井古墳群] 安城市 前方後方墳または前方後円墳 推定40または60m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390674_3.JPG)
前方部。![番外 愛知県の古墳㉚ー5 比蘇山古墳[桜井古墳群] 安城市 前方後方墳または前方後円墳 推定40または60m](//img01.dosugoi.net/usr/k/o/f/kofun/CA390675_2.JPG)
全景。右が前方部、左が後方(円)部。東から。
以上2013年12月撮影。
また、古墳の東側に隣接して、鹿乗川流域遺跡群の中狭間遺跡が広がっています。この中狭間遺跡では、古墳時代前期の竪穴住居跡が多数検出され、岡安正彦さんは「この時期の中心的な集落であったと考えられる。」(「鹿乗川流域遺跡群の概要」p.37、安城市教育委員会・土生田純之編『三河国、ここにはじまる!』所収)と指摘しています。
安城市教育委員会の『桜井古墳群保存管理計画書』の「名称 比蘇山古墳」の項目で、「古墳の墳形 前方後円(方)墳か。『資料編 桜井町の古墳』では桜井神社本殿に後円部、拝殿に前方部があったと伝わる。その中で古老の話として、本殿改築時に後円部を平坦にしたことを伝える。」、「古墳の規模 二子古墳と同等の全長60mほどとする見解に従う。」(資料編p.9)と記されています。
また、西島庸介さんは、「桜井古墳群の概要」(安城市教育委員会・土生田純之編『三河国、ここにはじまる!』所収)の「表1 桜井古墳群一覧」で、「古墳名 比蘇山古墳、墳形 前方後方墳か、墳丘規模(m) 40」(p.12)と記しています。
そのため、ここでは両論併記としました。
余談ですが、この比蘇山古墳が桜井二子古墳と同等の60m規模とするならば、「番外」扱いではなく「ランキング古墳」とすべきですが、確定した数値でないため、ここでは慎重に取り扱いました。
後方(円)部右側。左側。
前方部。
全景。右が前方部、左が後方(円)部。東から。
Posted by じこま at 06:07│Comments(0)