2024年12月02日

番外 愛知県の古墳59 百々(どうど)古墳 豊田市 墳形・規模不詳 

 消滅古墳です。今回の豊田市古墳訪問の目玉の一つでした。三角縁神獣鏡を出土した前期古墳として、この古墳名は何度か目にしていました。ところが、訪問のための下調べでは、この古墳の跡地は、「豊田市百々町3丁目」以上のことは不明でした。
 そのため、おっさんの経験上、前期古墳は眼下に被葬者の支配領域が見渡せる里山の頂上付近に築造されるケースが多いことから、跡地として可能性のある場所を2カ所絵に撮ってみました。
 候補地①:台地の端部から領域が広く見渡せる場所です。ただし、頂上付近ではありません。
 候補地②:①より標高が高く、現在墓地となっている場所です。古墳の墳丘上に、墓地や神社の社殿があることは珍しくありません。
 しかし、おっさんのような「迷探偵」では役不足なので、「コナンくん」の登場を待つしかないようです。

 余談ですが、伊奈森太郎筆、松村冬樹編輯・補筆「明治20年代における愛知県古墳時代遺跡分布調査(三河編Ⅰ)」では、「百々古墳 (5001)」として「高橋村大字百々字百々 宅地(百々町) ①(おっさん註 形状)全壊 ②(おっさん註 大きさ)不明 ③(おっさん註 遺物)鉄鎧、祝部 ⑦(おっさん註 現状其他)この夏に村役場建築の際石槨破壊。今原形無し。吉田一慶氏宅地となっている。」と記されていました。
 現在の住宅地図の「百々町3丁目」内で、吉田さん宅を探してみましたが、見つかりませんでした。やはり、「コナンくん」にはかないそうにありません。
 余談の余談ですが、上記「分布調査(三河編Ⅰ)」では、何故か鏡が遺物として記載されていません。『愛知県史 資料編3 考古3古墳』で、森泰通さんは、「1963年に大阪市立博物館(現:大阪歴史博物館)が、豊田市百々町の地名が箱書きされた三角縁神獣鏡を購入した。一方、『尾三出土古鏡譜』(個人蔵)に「三河国西加茂郡高橋村大字百々古墳発見三神三獣鏡」とされる鏡の拓本があり、両者は同じ鏡であることが判明した。」(「141 百々古墳」p.443)と述べています。
 これからはおっさんの妄想ですが、百々古墳出土の三角縁神獣鏡は、完形の優品であるために、関係者から古物商に売買され所有者が転々としながら、最終的に大阪の博物館の収蔵品となった。「鏡よ、鏡よ、鏡さん。あなたはいったい何処から来たの?」。
 余談の余談の余談ですが、下記の平井大塚古墳の説明板では、「本墳の北1.5kmには三角縁神獣鏡が出土した百々古墳」という記載があります。ただし、「北1.5km」は離れ過ぎで誤記のようです。平井大塚古墳から約700m北東に、この百々古墳が位置していたと思われます。
 『愛知県史 資料編3 考古3古墳』でも、「南西約700mには中期古墳となる可能性の高い平井大塚古墳がある。」と森泰通さんは述べています。(「141 百々古墳」p.443)


 跡地候補①。「百々区民会館」。その拡大。
番外 愛知県の古墳59 百々(どうど)古墳 豊田市 墳形・規模不詳 
 
番外 愛知県の古墳59 百々(どうど)古墳 豊田市 墳形・規模不詳 

 百々区民会館から南西方面を見る。
番外 愛知県の古墳59 百々(どうど)古墳 豊田市 墳形・規模不詳 


 跡地候補②。「百々墓地(下)」。
番外 愛知県の古墳59 百々(どうど)古墳 豊田市 墳形・規模不詳 
        

 豊橋市教委の「平井大塚古墳」の説明板。
番外 愛知県の古墳59 百々(どうど)古墳 豊田市 墳形・規模不詳 
        以上2024年11月撮影。



Posted by じこま at 07:07│Comments(0)
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