2025年03月12日

追加14 市庭古墳[佐紀古墳群中央群] 奈良県奈良市 253m

 この古墳も平城京造営に伴って前方部が削平された被破壊古墳です。後円部は、平安時代初期の平城天皇の「楊梅陵(やまもものみささぎ)」として宮内庁が管理しています。
 2018年1月31日のブログで、「14 市庭古墳」として掲載していますが、再訪して新たに絵を撮ったので追加掲載しました。

 今尾文昭さんは、「周濠がめぐり、濠内の有機質堆積は厚さ三〇センチ、宮造営時にいっきに埋められたものと判断された。平らになった前方部の位置には、平城京の内裏関連施設がつくられ、くびれ部から後円部にかけては宮北面大垣がとりつく。」、「奈良時代には周濠を埋め、外堤の葺石を洲石敷にとり入れ、園地に変えたことも明らかとなった。墳長二五三メートル、前方部幅一六四メートル、後円部直径一四七メートルとする復元案が示されている。」(『ヤマト政権の一大勢力 佐紀古墳群』pp.55~56)と述べています。

 余談ですが、今尾さんは同上書でこの古墳の築造時期を「中期中葉」と述べています。古墳時代中期の古墳の被葬者が、平安時代初期の人物であるはずがありません。ただし、残された古墳の後円部を活用して平城天皇が葬られた可能性を全否定する勇気は、おっさんにはありません。


 制札。
追加14 市庭古墳[佐紀古墳群中央群] 奈良県奈良市 253m


 後円部中央。右側。左側。
追加14 市庭古墳[佐紀古墳群中央群] 奈良県奈良市 253m
追加14 市庭古墳[佐紀古墳群中央群] 奈良県奈良市 253m
追加14 市庭古墳[佐紀古墳群中央群] 奈良県奈良市 253m

 前方部跡右側。左側。
追加14 市庭古墳[佐紀古墳群中央群] 奈良県奈良市 253m
追加14 市庭古墳[佐紀古墳群中央群] 奈良県奈良市 253m


 前方部跡から後円部。南から。
追加14 市庭古墳[佐紀古墳群中央群] 奈良県奈良市 253m


 全景。右奥が後円部、左が前方部跡。南東から。
追加14 市庭古墳[佐紀古墳群中央群] 奈良県奈良市 253m
        以上2025年3月撮影。



Posted by じこま at 07:07│Comments(0)
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