2021年10月26日
番外 山形県の古墳⑥ー3 戸塚山古墳群137号墳 米沢市 円墳 全長24m
138号墳の東側に隣接している古墳です。古墳群中で最大の139号墳に夢中となっていたため、この古墳から女性の人骨が発見されていたことは記憶にありませんでした。
米沢市のHP.の「戸塚山古墳(とづかやまこふん)」の項目で、「今月は、昭和57年の発掘調査で古代女性の骨が発見され、「置賜の卑弥呼」と注目を浴びた、米沢市大字浅川の戸塚山古墳群を紹介します。(中略) この古墳(おっさん註 139号墳)の東側に、ホタテ貝の形をした帆立貝式古墳が2基(137・138号墳)あり、137墳が発掘され話題を呼んだ古墳です。長さ24メートル、後円径21メートルの大きさで、中央を2.6メートル掘り下げた所に石を組み合わせて作った箱形の石棺がありました。石棺の大きな蓋石を持ち上げると、その中には人の骨一人分がほぼ完全な形で横たわり、まわりから縦に長い櫛くしが3個、握りの部分を鹿の角で作った鉄製の刀子(とうす)が発見されました。古墳から人骨が発掘されたのは珍しいことです。 人骨は独協医科大学の解剖学かいぼうがくの先生達によって調べられ、骨盤(こつばん)などから見て明らかに女性で、身長145センチほど、年齢は壮年中後期(40歳から50歳)と推定されました。また、全体的に骨が細くきゃしゃな体つき、22本残っていた歯のうち7本が虫歯であることが特色として示されました。甘い物が食べられ、重労働をしないで育った、身分の高い女性と想像されます。 なお、古墳の作られた時代は、約1500年前の5世紀の終り頃と考えられています。 発掘された137墳は調査後ただちに埋め戻され、1500年の眠りを覚ました置賜の女王だけは、旧万世小学校を利用している埋蔵文化財資料室に静かに横たわっています。(後略)」と記されています。
前項の138号墳でも書きましたが、おっさんは、この古墳も「帆立貝形前方後円墳」ではなく、「造出付き円墳」としました。
「戸塚山古墳群」を構成する古墳のひとつとして、米沢市の史跡に指定されています。
説明板。
造出から円丘部。
墳頂の盗掘抗。
ほぼ全景(横から)。右が造出、左が円丘部。
以上2017年5月撮影。
米沢市のHP.の「戸塚山古墳(とづかやまこふん)」の項目で、「今月は、昭和57年の発掘調査で古代女性の骨が発見され、「置賜の卑弥呼」と注目を浴びた、米沢市大字浅川の戸塚山古墳群を紹介します。(中略) この古墳(おっさん註 139号墳)の東側に、ホタテ貝の形をした帆立貝式古墳が2基(137・138号墳)あり、137墳が発掘され話題を呼んだ古墳です。長さ24メートル、後円径21メートルの大きさで、中央を2.6メートル掘り下げた所に石を組み合わせて作った箱形の石棺がありました。石棺の大きな蓋石を持ち上げると、その中には人の骨一人分がほぼ完全な形で横たわり、まわりから縦に長い櫛くしが3個、握りの部分を鹿の角で作った鉄製の刀子(とうす)が発見されました。古墳から人骨が発掘されたのは珍しいことです。 人骨は独協医科大学の解剖学かいぼうがくの先生達によって調べられ、骨盤(こつばん)などから見て明らかに女性で、身長145センチほど、年齢は壮年中後期(40歳から50歳)と推定されました。また、全体的に骨が細くきゃしゃな体つき、22本残っていた歯のうち7本が虫歯であることが特色として示されました。甘い物が食べられ、重労働をしないで育った、身分の高い女性と想像されます。 なお、古墳の作られた時代は、約1500年前の5世紀の終り頃と考えられています。 発掘された137墳は調査後ただちに埋め戻され、1500年の眠りを覚ました置賜の女王だけは、旧万世小学校を利用している埋蔵文化財資料室に静かに横たわっています。(後略)」と記されています。
前項の138号墳でも書きましたが、おっさんは、この古墳も「帆立貝形前方後円墳」ではなく、「造出付き円墳」としました。
「戸塚山古墳群」を構成する古墳のひとつとして、米沢市の史跡に指定されています。
説明板。
造出から円丘部。
墳頂の盗掘抗。
ほぼ全景(横から)。右が造出、左が円丘部。
Posted by じこま at
08:08
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