2024年07月21日
番外 愛知県の古墳㉚ー7 獅子塚古墳[桜井古墳群] 安城市 前方後円(方)墳 推定55m前後(60~70m)
古墳は、前回の姫塚古墳の約200m北の秋葉神社の境内地にあります。前方部は削平され、後円(方)部も社殿の建立により改変されています。ただし、残存する後円(方)部は高さがあり、築造時の規模の大きさを暗示しているようでした。
HP.「安城市埋蔵文化財センター」の「遺跡・史跡紹介」の「獅子塚古墳」の項目で、「東町に所在し、碧海台地東縁が沖積地に向かって小さく張り出した地点の、段丘崖に接して築かれています。名称の由来は「獅子のうずくまった形」だからと伝えられ、あるいは獅子面を埋納したためとも、姫塚古墳に葬られた姫君の乳母「いし」が葬られた「いし塚」から来ているという説話もあります。測量調査の結果、残存する墳丘の規模は東西26m、南北28m、高さは約5mで、整った円形ではありません。地籍図を見ると、前方部を南南西に向けた前方後円墳または前方後方墳であった可能性があります。本来高かった前方部は明治年間には削り取られたと伝えられています。 現在も前方後円形の区画がほぼ残っています。区画全体を古墳であったと考えると、全長は60~70m、後円部径30数mに復元されます。時期を知る手がかりはありませんが、地籍図からは二子古墳や姫小川古墳に匹敵する規模を持つ古墳であった可能性があります。そうでない場合も、全長40m以上の前方後円墳または後方墳として、市内ではそれらに次ぐ規模を誇ります。 全 長:約60~70mか?」と記されています。
下記の説明板では、「前方部を南南西に向け、全長五五メートル前後の前方後円墳でしたが、明治年間に鹿乗川の堤防工事のため前方部の封土を削り取り、現状は後円部だけが残ります。」と記されていますが、ここでは「前方後円(方)墳」としました。
古墳は、安城市の史跡に指定されています。
余談ですが、この獅子塚古墳が全長60~70m規模とするならば、「番外」扱いではなく「ランキング古墳」とすべきですが、確定した数値でないため、ここでは慎重に取り扱いました。
余談の余談ですが、この獅子塚古墳や比蘇山古墳が全長60m以上であるならば、桜井古墳群には、北部に二子古墳・比蘇山古墳の2基、南部に姫小川古墳・獅子塚古墳の2基、合わせて4基の大型古墳があったことになり、西三河最大の古墳群であったと思いました。
安城市教委の説明板。
標柱。
後円(方)部の一部。
以上2008年6月撮影。
安城市教委の説明板。
後円(方)部右側。左側。

前方部跡。
前方部跡から後円(方)部。南から。
後円(方)部墳頂。
後円(方)部残存部。西から。
後円(方)部残存部。東から。
全景。右が後円(方)部、左が前方部跡。南西から。
以上2017年11月撮影。
HP.「安城市埋蔵文化財センター」の「遺跡・史跡紹介」の「獅子塚古墳」の項目で、「東町に所在し、碧海台地東縁が沖積地に向かって小さく張り出した地点の、段丘崖に接して築かれています。名称の由来は「獅子のうずくまった形」だからと伝えられ、あるいは獅子面を埋納したためとも、姫塚古墳に葬られた姫君の乳母「いし」が葬られた「いし塚」から来ているという説話もあります。測量調査の結果、残存する墳丘の規模は東西26m、南北28m、高さは約5mで、整った円形ではありません。地籍図を見ると、前方部を南南西に向けた前方後円墳または前方後方墳であった可能性があります。本来高かった前方部は明治年間には削り取られたと伝えられています。 現在も前方後円形の区画がほぼ残っています。区画全体を古墳であったと考えると、全長は60~70m、後円部径30数mに復元されます。時期を知る手がかりはありませんが、地籍図からは二子古墳や姫小川古墳に匹敵する規模を持つ古墳であった可能性があります。そうでない場合も、全長40m以上の前方後円墳または後方墳として、市内ではそれらに次ぐ規模を誇ります。 全 長:約60~70mか?」と記されています。
下記の説明板では、「前方部を南南西に向け、全長五五メートル前後の前方後円墳でしたが、明治年間に鹿乗川の堤防工事のため前方部の封土を削り取り、現状は後円部だけが残ります。」と記されていますが、ここでは「前方後円(方)墳」としました。
古墳は、安城市の史跡に指定されています。
余談ですが、この獅子塚古墳が全長60~70m規模とするならば、「番外」扱いではなく「ランキング古墳」とすべきですが、確定した数値でないため、ここでは慎重に取り扱いました。
余談の余談ですが、この獅子塚古墳や比蘇山古墳が全長60m以上であるならば、桜井古墳群には、北部に二子古墳・比蘇山古墳の2基、南部に姫小川古墳・獅子塚古墳の2基、合わせて4基の大型古墳があったことになり、西三河最大の古墳群であったと思いました。
安城市教委の説明板。
標柱。
後円(方)部の一部。
安城市教委の説明板。
後円(方)部右側。左側。
前方部跡。
前方部跡から後円(方)部。南から。
後円(方)部墳頂。
後円(方)部残存部。西から。
後円(方)部残存部。東から。
全景。右が後円(方)部、左が前方部跡。南西から。
Posted by じこま at
07:07
│Comments(0)