2024年07月23日
番外 愛知県の古墳㉛ とうてい山古墳 西尾市 円墳 径想定18(21)m
古墳へは、国道247号線の東幡豆田中交差点を北にむかい約230m進むと、電柱の傍らに下記の案内標識があります。そこを西に進み案内に従って住宅地に入り、あっちに行き・こっちに行き草地を通り抜けると(10年以上前の訪問なので、記憶が・・・)、三河湾を望む丘陵地に墳丘が見えてきます。石室入口には柵が設置されていましたが、石室内には箱式石棺が破損して砕けた石材とともに置かれていました。
現在の墳丘は、1999年に幡豆町教育委員会によって復元・整備されています。なお、1964年に盗掘グループによって、この古墳から多数の須恵器が掘り出されて骨董屋に売却され、その後は消息不明だそうです。「どいかんじゃん」。
説明板や案内標識は幡豆町ですが、2011年4月に町村合併で西尾市となっています。そのため、現在は西尾市の史跡に指定されています。
西尾市のHP.の「とうてい山古墳」の項目で、「よみ とうていやまこふん、指定・種別 市指定・史跡、員数 1基、形状 全長8m 円墳、時代 古墳時代後期、所在 東幡豆町山崎」「とうてい山古墳は、三ヶ根山系から南に延びた舌状丘陵先端部に位置し、眼下に三河湾を一望できる。発掘調査は昭和42年に行われた。円墳、横穴式石室で単室・両袖型。奥壁に幅2.4m以上、高さ2m以上の巨石を用い、最大幅2.72m、最大高2.82mを測る。石室内の右側壁寄りには佐久島産凝灰質砂岩を用いた組合せ式箱形石棺が置かれている。出土遺物は須恵器・玉類・武具・馬具など多数。6世紀後半の築造とみられる。」と記されています。ただし、「全長8m」は、石室の全長と思われるので、おっさん的には墳丘の全長(直径)の数値を示して欲しかったです。
下記の説明板では、「6世紀後半の円墳で墳丘の直径は、およそ21mあり現在までに町内で発掘された古墳では最大規模である。」と表示されています。ただし、三田敦司さんは、「墳丘の正式な発掘調査が行われていないため古墳の正確な規模は不明である。石室の南側に残る斜面は墳丘の一部である可能性が高く、直径18m程度の円墳であったと想定される。」(「116 とうてい山古墳」p.610、『新編西尾市史 資料編1 考古』所収)と述べています。墳丘規模については、後者を主として両論併記としました。
幡豆町教委の説明板。
案内標識。
石室内部。
石室内の箱式石棺。

やや全景。
全景。
古墳から三河湾を望む。
以上2013年11月撮影。
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現在の墳丘は、1999年に幡豆町教育委員会によって復元・整備されています。なお、1964年に盗掘グループによって、この古墳から多数の須恵器が掘り出されて骨董屋に売却され、その後は消息不明だそうです。「どいかんじゃん」。
説明板や案内標識は幡豆町ですが、2011年4月に町村合併で西尾市となっています。そのため、現在は西尾市の史跡に指定されています。
西尾市のHP.の「とうてい山古墳」の項目で、「よみ とうていやまこふん、指定・種別 市指定・史跡、員数 1基、形状 全長8m 円墳、時代 古墳時代後期、所在 東幡豆町山崎」「とうてい山古墳は、三ヶ根山系から南に延びた舌状丘陵先端部に位置し、眼下に三河湾を一望できる。発掘調査は昭和42年に行われた。円墳、横穴式石室で単室・両袖型。奥壁に幅2.4m以上、高さ2m以上の巨石を用い、最大幅2.72m、最大高2.82mを測る。石室内の右側壁寄りには佐久島産凝灰質砂岩を用いた組合せ式箱形石棺が置かれている。出土遺物は須恵器・玉類・武具・馬具など多数。6世紀後半の築造とみられる。」と記されています。ただし、「全長8m」は、石室の全長と思われるので、おっさん的には墳丘の全長(直径)の数値を示して欲しかったです。
下記の説明板では、「6世紀後半の円墳で墳丘の直径は、およそ21mあり現在までに町内で発掘された古墳では最大規模である。」と表示されています。ただし、三田敦司さんは、「墳丘の正式な発掘調査が行われていないため古墳の正確な規模は不明である。石室の南側に残る斜面は墳丘の一部である可能性が高く、直径18m程度の円墳であったと想定される。」(「116 とうてい山古墳」p.610、『新編西尾市史 資料編1 考古』所収)と述べています。墳丘規模については、後者を主として両論併記としました。
幡豆町教委の説明板。
案内標識。
石室内部。
石室内の箱式石棺。
やや全景。
全景。
古墳から三河湾を望む。
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Posted by じこま at
07:07
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