2024年07月29日
番外 愛知県の古墳㉞ 経塚古墳 西尾市 円墳 径約30m
古墳は、正法寺古墳の約400m東南東に位置し、丘陵地に立地していました。墳丘は削られ、跡地西側は墓地となっています。道路から墓地にむかう坂道には、手すりが設置されており、雨で濡れた路面を上る際に大変助かりました。また、そこから正法寺古墳が築造された場所を臨むことができました。墓地の東南隅に「経塚古墳」と記された標柱があり、草むらの中から偶然見つけた時は、何か得した気分になりました。
三田敦司さんは、「墳丘は直径約30m、高さ約3mで、南側の裾に葺石が残存していた。」、「本古墳は、大型前方後円墳の正法寺古墳と近い時期に築造された葺石・埴輪を有する2段築成の円墳である。被葬者は、正法寺古墳と同時代の正法寺古墳の被葬者に次ぐ地位の人物、あるいは正法寺古墳築造後あまり時間を経ずして亡くなった次代の首長と想定される。」(「94 経塚古墳」p.540、『新編西尾市史 資料編1 考古』所収)と述べています。
標柱。
跡地付近。南から。
跡地付近。北から。
跡地付近。東から。
遠景。南から。
跡地付近から正法寺古墳を見る。東から。
以上2024年7月撮影。
三田敦司さんは、「墳丘は直径約30m、高さ約3mで、南側の裾に葺石が残存していた。」、「本古墳は、大型前方後円墳の正法寺古墳と近い時期に築造された葺石・埴輪を有する2段築成の円墳である。被葬者は、正法寺古墳と同時代の正法寺古墳の被葬者に次ぐ地位の人物、あるいは正法寺古墳築造後あまり時間を経ずして亡くなった次代の首長と想定される。」(「94 経塚古墳」p.540、『新編西尾市史 資料編1 考古』所収)と述べています。
標柱。
跡地付近。南から。
跡地付近。北から。
跡地付近。東から。
遠景。南から。
跡地付近から正法寺古墳を見る。東から。
Posted by じこま at
07:07
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