2019年02月10日

1151 名越古墳 三重県亀山市 60m

 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「名越古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:60m 後円部:径35m 高6m 前方部:幅20m 長26m」と記されています。 
 古墳は、安楽川の北岸の河岸段丘上に立地しています。墳丘の後円部端は道路で削られ、その部分がカーブしています。後円部の中央付近から前方部にかけてもかなり削られており、改変が著しいです。
 約400m西に、日本武尊の「白鳥墓」として著名な能褒野王塚古墳(ランキング400位)があります。

 後円部右側。左側。
1151 名越古墳 三重県亀山市 60m
1151 名越古墳 三重県亀山市 60m

 前方部残存部。
1151 名越古墳 三重県亀山市 60m


 後円部墳頂。
1151 名越古墳 三重県亀山市 60m


 後円部端全景。北から。
1151 名越古墳 三重県亀山市 60m


 全景。中央が後円部、右奥が前方部残存部。西から。
1151 名越古墳 三重県亀山市 60m
            以上2014年5月撮影。



Posted by じこま at 09:09│Comments(4)
この記事へのコメント
「のぼの」というのは「上る野」傾斜をのぼっていく野という意味だと、何かの本で読んだ覚えがあります。それにしても、この古墳も竹藪で破壊が進んでいますね。
Posted by かんちゃん at 2019年02月11日 10:20
 コメントありがとうございます。「能褒野」という地名の由来については知りませんでした。確かに、能褒野王塚古墳やこの名越古墳は丘陵上に立地していますね。地名には貴重な情報が潜んでいると思います。これも何かの本で書いてあったことですが、銅鐸の出土地には「神」のつく地名が多いということで、①300本以上の銅剣や6個の銅鐸などを出土した島根県の神庭荒神谷遺跡の「神庭」、②有名な絵画銅鐸を含む14個の銅鐸が出土した兵庫県の桜ヶ丘銅鐸は、「神岡」という地名の丘陵地などの例が有名です。10年ほど昔、古墳見学にはまる前の話ですが、豊橋の隣の小坂井町で出土した伊奈銅鐸の里帰り展をやっていて、住宅地図で出土地点付近を見ていたら「神」という小字名があり胸が躍った経験があります。
Posted by じこまじこま at 2019年02月11日 15:28
「神」という地名と「銅鐸」の関係、おもしろいですね。
古墳見学、10年前からなんですか?
もっと前から、古墳探訪をされていたのかと思いました。
Posted by かんちゃん at 2019年03月22日 20:54
 墳丘規模の大きな古墳の探訪を始めたのが10年ほど前からです。最初はベスト50位。次にベスト100位。それが達成すると墳丘規模100m以上、そして60m以上と次第に狂気の沙汰がエスカレートしていきました。もともと、考古学に興味があり、中学生の時「荒木集成館」という個人の博物館に通い、高校生の時は「見晴台遺跡」の発掘調査に参加しましたが、その筋の大学に入学する学力がなく、道を踏み外して現在に至っています。
Posted by じこまじこま at 2019年03月22日 22:21
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