2019年09月08日
補遺[316-4] 味鋺大塚古墳 愛知県名古屋市 推定100m
消滅古墳です。大下武さんは、「味鋺地区では5世紀前半とされる白山薮古墳以降(略)、後続する古墳についての年代資料は得られていない。味鋺大塚と味鋺長塚は地籍図から前方後円形の古墳である可能性と、およその墳長が推定されるが、全て滅失しており、したがって以下の記述は白山薮古墳の墳丘規模を含め、地籍図からの復元による推定に基づくものである(略)。地籍図から、いま白山薮古墳を墳長50m前後の前方後円墳、味鋺大塚を墳長100m前後の前方後円墳とし、味鋺長塚を墳長70m前後の前方後円墳とするなら、墳丘の規模が大型化し、かつ東方へ移動する味鋺大塚を、白山薮に後出する古墳として捉えることができる。」(「味美二子山古墳の時代(1) -尾張の段丘・丘陵地帯の古墳分布論ー」p.7 『味美二子山古墳の時代 第一分冊』所収)と述べています。
また、伊藤秋男さんも、「水分橋を北に渡り四〇〇メートルほど進むと、左側に名古屋銀行がある。この西辺りにあった古墳で、自然堤防の西端に引っかかるように造られていた。(中略)墳丘は完全に削平されており、跡形もない。(中略)明治初期の時代はまだ残丘があり、水田の地割に周溝の面影が残っていた。愛知県の遺跡台帳には『円墳』と登録されているが、地籍図の情報から全長一〇〇メートル、後円部直径六〇メートル、馬蹄形の周溝をもつ大型前方後円墳だったことが分かる。周溝を含めた全長は、優に一四五メートルはあったように思う。」(『地籍図で探る古墳の姿(尾張編)』 p.78)と述べています。ただし、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「味鋺大塚古墳」の項目では、「墳丘 形状:前方後円 墳長:80? 特記事項【その他】滅失。」と記されています。ここでは、墳長100mの前方後円墳として考えたいと思います。
約200m南西に、前の項目で紹介した白山薮古墳(ランキング[1227-14]位)があります。
跡地付近。西から。
銀行が北区楠味鋺5丁目2109。
跡地付近。東から。
白い建物が銀行。
跡地付近。東から。
北区楠味鋺5丁目2122付近。
跡地付近。東から。
水分橋バスターミナル付近。 以上2019年9月撮影。
また、伊藤秋男さんも、「水分橋を北に渡り四〇〇メートルほど進むと、左側に名古屋銀行がある。この西辺りにあった古墳で、自然堤防の西端に引っかかるように造られていた。(中略)墳丘は完全に削平されており、跡形もない。(中略)明治初期の時代はまだ残丘があり、水田の地割に周溝の面影が残っていた。愛知県の遺跡台帳には『円墳』と登録されているが、地籍図の情報から全長一〇〇メートル、後円部直径六〇メートル、馬蹄形の周溝をもつ大型前方後円墳だったことが分かる。周溝を含めた全長は、優に一四五メートルはあったように思う。」(『地籍図で探る古墳の姿(尾張編)』 p.78)と述べています。ただし、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「味鋺大塚古墳」の項目では、「墳丘 形状:前方後円 墳長:80? 特記事項【その他】滅失。」と記されています。ここでは、墳長100mの前方後円墳として考えたいと思います。
約200m南西に、前の項目で紹介した白山薮古墳(ランキング[1227-14]位)があります。
跡地付近。西から。
跡地付近。東から。
跡地付近。東から。
跡地付近。東から。
Posted by じこま at
10:39
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