2019年09月17日
補遺[356-3] 前野大塚古墳 愛知県江南市 復元95m
消滅古墳です。現在は、工場が建設されその敷地となっています。伊藤秋男さんは、地籍図の分析を通じて、「字大塚とそれにつながる字寺野西の一部の地籍は、他の字のそれとは顕著に不整合な形状を示している。恐らくかつて存在した大型前方後円墳の形状の影響を受けたものと思われる。(中略)北に後円部を置く全長九五メートルほどの前方後円墳を復元できる。遺跡台帳では『円墳』としているが、再考が必要。」(『地籍図で探る古墳の姿(尾張編)』 p.105)と述べています。
また、『江南市史 資料四 文化編』では、「大塚遺跡は前野豊和産業の南隣、旧柳街通の西側にある。一帯の畑地で高めの地である。この地積は明治期の地籍図によれば、六角不整形の畑地で、戦前までは青年団の試作地になっていて、中央に自然石が立っていた。昭和三十七年土地改良の結果、南側に道路が付き、自然石は道路添い(ママ)へ移され合わせて記念の小碑が建てられた。 なお、幕末のころであろうか、大塚開墾のとき須恵器が大量に出土したが、村民は後難を恐れ天満社々殿北側へ埋めたという説がある。 碑文(表)大塚遺跡 (裏)昭和三十七年四月建之」(p.76)と述べられています。
小碑。
前野町東69-1。
跡地付近。
跡地付近。
前野町東1付近。 以上2019年9月撮影。
また、『江南市史 資料四 文化編』では、「大塚遺跡は前野豊和産業の南隣、旧柳街通の西側にある。一帯の畑地で高めの地である。この地積は明治期の地籍図によれば、六角不整形の畑地で、戦前までは青年団の試作地になっていて、中央に自然石が立っていた。昭和三十七年土地改良の結果、南側に道路が付き、自然石は道路添い(ママ)へ移され合わせて記念の小碑が建てられた。 なお、幕末のころであろうか、大塚開墾のとき須恵器が大量に出土したが、村民は後難を恐れ天満社々殿北側へ埋めたという説がある。 碑文(表)大塚遺跡 (裏)昭和三十七年四月建之」(p.76)と述べられています。
小碑。
跡地付近。
跡地付近。
Posted by じこま at
08:08
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