2019年09月18日

補遺[948-1] 宮後(みやうしろ)南大塚古墳 愛知県江南市 65?(40~50)m

 消滅古墳です。現在は、江南市立古知野中学校と名鉄犬山線の間にある住宅地となっています。
 赤塚次郎さんは、「宮後南大塚古墳」の項目で、「江南市宮後町王塚に所在した古墳で、明治四十二年古知野東高校建設に伴う土取りにより鏡が出土し、さらに、昭和九年ごろの古知野東高校改築により完全に封土が消失した。なお字名には『南大塚』と『北大塚』という小字が残る。宮後南大塚古墳は前方後円墳との推測があり、後円部の径が二〇メートル高さ三メートルという記録もある。後円径が二〇メートル級とすれば墳長は四〇から五〇メートル前後を想定できるかもしれない。」(『江南市史 本文編』 p.51)と述べています。 
 一方で、伊藤秋男さんは地籍図の分析を通じて「南に後円部を置く全長六五メートルの前方後円墳だったと思われる。」(『地籍図で探る古墳の姿(尾張編)』 p.105)と述べています。ここでは、一応65mの前方後円墳としてランキングしていきます。
 また、『江南市史 資料四 文化編』には、「大塚遺跡(おっさん註 古墳のことだと思われる)の地積所有の古田勝義氏の話によれば、塚にはもと松・杉・あべまき(ほうす)が生えていて中央の松のあたりから火の玉が出たことがあり、南の方の杉の根元より鏡が出土した。後、供養のためその場所へ地蔵石像を建てたが、土地改良後、北東へ移した。現在も子どもの夜泣きや万病には霊験があるというので信仰を集めているとのことである。」(pp.69~70)との記述がありました。訪問時、御利益を求めて地蔵さんを探しましたが、見つけることができませんでした。当分の間、医療費の削減は難しそうです。

 跡地付近。東から。
            宮後町王塚193付近。

 跡地付近。東から。
            宮後町王塚177付近。

 跡地付近。西から。
            宮後町王塚195付近。               以上2019年9月撮影。  


Posted by じこま at 08:08Comments(0)