2024年04月26日
補遺[590-7] 四之宮将軍山古墳 長野県長野市 前方後円墳←円墳 80m級←径32m
「番外 愛知県の古墳」の途中ですが、久しぶりにランキング古墳を訪問したので、早速掲載しました。ご了承ください。
長野市教育委員会文化財課 長野市埋蔵文化財センターが令和5年11月8日に公表したプレスリリース「市民が前方後円墳を発見! 長野市篠ノ井の円墳が、実は前方後円墳であったことが判明しました。」で、「一般市民の方々からの連絡により、これまで直径 32mの円墳と認識されていた長野市篠ノ井塩崎の将軍山古墳が、実は全長 80m級の前方後円墳である可能性がきわめて高いことが確認されました。」と記されていました。
このプレスリリースを見て心が躍りましたが、冬季の長野の路面凍結・積雪が怖く、また冬眠から覚めた熊も怖くて訪問時期に躊躇していました。その間、「長野市 行政地図情報」を参考にして場所の特定に勤しんでいました。当初、将軍山古墳は■マークでしたが、途中から前方後円墳マークに変更され訪問時は助かりました。「やるじゃん、長野市」。
将軍山古墳へは、かつて訪問したことのある中郷神社前方後円墳(中郷古墳)から県道395線に行き、鳥坂峠付近から未舗装の細道に入りました。畠の広がる斜面を上り、その先にようやく墳丘(後円部)が見えてきました。後円部墳頂には、祠が祀られていました。前方部は、後円部と比べて低平で一部削平されたためか、デコボコしていました。おっさんの素人目には、前期古墳という印象でした。
約1.4km北東に川柳将軍塚古墳(ランキング367位)が位置しています。
後円部中央。右側。左側。


前方部右側。左側。

前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。


後円部から前方部を見る。
後円部墳頂。
後円部(横から)。南西から。
4つで全景(横から)。前方部端。前方部。くびれ部。後円部。東方から。



遠景。右が後円部、左が前方部。南西から。
以上2024年4月撮影。
長野市教育委員会文化財課 長野市埋蔵文化財センターが令和5年11月8日に公表したプレスリリース「市民が前方後円墳を発見! 長野市篠ノ井の円墳が、実は前方後円墳であったことが判明しました。」で、「一般市民の方々からの連絡により、これまで直径 32mの円墳と認識されていた長野市篠ノ井塩崎の将軍山古墳が、実は全長 80m級の前方後円墳である可能性がきわめて高いことが確認されました。」と記されていました。
このプレスリリースを見て心が躍りましたが、冬季の長野の路面凍結・積雪が怖く、また冬眠から覚めた熊も怖くて訪問時期に躊躇していました。その間、「長野市 行政地図情報」を参考にして場所の特定に勤しんでいました。当初、将軍山古墳は■マークでしたが、途中から前方後円墳マークに変更され訪問時は助かりました。「やるじゃん、長野市」。
将軍山古墳へは、かつて訪問したことのある中郷神社前方後円墳(中郷古墳)から県道395線に行き、鳥坂峠付近から未舗装の細道に入りました。畠の広がる斜面を上り、その先にようやく墳丘(後円部)が見えてきました。後円部墳頂には、祠が祀られていました。前方部は、後円部と比べて低平で一部削平されたためか、デコボコしていました。おっさんの素人目には、前期古墳という印象でした。
約1.4km北東に川柳将軍塚古墳(ランキング367位)が位置しています。
後円部中央。右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。
後円部から前方部を見る。
後円部墳頂。
後円部(横から)。南西から。
4つで全景(横から)。前方部端。前方部。くびれ部。後円部。東方から。
遠景。右が後円部、左が前方部。南西から。
Posted by じこま at
07:07
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