2020年06月03日

番外 束明神古墳 奈良県高取町 八角墳 36m

 レンガを組み合わせたような横口式石槨を有する八角墳です。同じ「横口式石槨」といっても、巨石を刳り貫いた牽牛子塚古墳とかなり異なっています。おっさんは、橿原考古学研究所附属博物館で、実物大の復元された横口式石槨を見ましたが、当時あまり興味がなかったので、「館外に設置されているので、入館しなくてもタダで見れるじゃん」という感想しか残っていません。館内のメスリ山古墳出土の巨大円筒埴輪や室宮山古墳出土の靫形埴輪などの形象埴輪には感動しましたが・・・。
 また、八角墳は、飛鳥時代後半の舒明大王から文武天皇の特徴的な陵墓形式として知られています。下記のように、束明神古墳の被葬者が草壁皇子とすれば、皇太子時代に次期天皇として生前に寿陵としてこの古墳を築造していたということなのでしょうか。名探偵コナンくんに「岡宮天皇」の謎について調べてもらいましょう。 
 奈良県 高取町教育委員会の「高取 埋蔵文化財(埋文) 散策マップ 第二版」の「7.佐田束明神古墳(調査終了後埋め戻し)」の項目で、「大字佐田にある束明神古墳は7世紀末に築造された古墳時代終末期の古墳で春日神社境内の傍らに位置する。墳丘は尾根斜面を大きく造成し平坦面を作り、その中央に墳丘を築造する。一辺36mの方(八角形)墳を版築といわれる工法で築造している。墳丘内に凝灰岩のブロックを組み合わせた石槨を構築している。古墳から円形の棺金具と鉄釘、須恵器・土師器等が出土している。古墳の被葬者は天武と持統天皇の皇太子であった草壁皇子が有力視されている。復元された石槨は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館で見学できる。」と記されています。


 高取町教委の説明板。


 近景。北西から。


 ほぼ全景。南西から。

 ほぼ全景。南東から。
            以上2015年10月撮影。


 近景。


 ほぼ全景。
              以上2011年4月撮影。  


Posted by じこま at 08:08Comments(0)