2020年06月13日
番外 文殊院西古墳 奈良県桜井市 円墳 径30m
文殊院の境内、本堂の南東に位置している古墳です。境内の東方にもう一基古墳があり、前者が文殊院西古墳、後者が文殊塚東古墳とよばれています。この西古墳は、石室(玄室)の石組みが精緻なことで知られており、その見事さは奈良県明日香村の岩屋山古墳と双璧と言えるでしょうか。古墳は、「動産」ならば国宝に匹敵する、国の特別史跡に指定されています。また、この文殊院は、阿部倉梯麻呂が安倍氏の氏寺として飛鳥時代に建立した「安倍山崇敬寺」(安倍寺)が起源だそうです。
桜井市観光協会のHP.の「文殊院西古墳(桜井市阿部)」の項目で、「日本三文殊のひとつ安倍文殊院の境内にある古墳時代終末期を代表する切石つくりの国特別史跡指定の古墳です「さくらい100選」には安倍文殊院として選ばれています。墳形は円墳又は方墳で本来は30m前後の墳丘規模と思われます。石室は両袖式横穴式(全長12.4m)で南に開口しています。長方形の切石(花崗岩製)を横積みし上の石の目地が下石の中央に来るように均等に割付られ天井石は1石で羨道部は板石を4枚並べ天井石は3枚構造です。 終末期古墳の頂点に立つ技術は石材と石材の隙間がない事でもわかり予備知識なしでこの中に入ると古墳だと判らないほど洗練された精美な古墳です。玄室長は5.1m、幅2.9m、高さ2.7mで羨道長は7.3m、幅2.3m、高さ1.8mで早くから開口していたようで棺や出土遺物は知られていません。築造年代は石室の構造からみて古墳時代の終末期にあたる7世紀中頃と推定されており被葬者は当時この地の有力者であった阿倍倉梯麻呂の墓説が有力です。」と記されています。
立札。説明版。

石室入口。
石室内部。内部の石組部分。

墳丘上部。
ほぼ全景。
ほぼ全景。
以上2013年3月撮影。
桜井市観光協会のHP.の「文殊院西古墳(桜井市阿部)」の項目で、「日本三文殊のひとつ安倍文殊院の境内にある古墳時代終末期を代表する切石つくりの国特別史跡指定の古墳です「さくらい100選」には安倍文殊院として選ばれています。墳形は円墳又は方墳で本来は30m前後の墳丘規模と思われます。石室は両袖式横穴式(全長12.4m)で南に開口しています。長方形の切石(花崗岩製)を横積みし上の石の目地が下石の中央に来るように均等に割付られ天井石は1石で羨道部は板石を4枚並べ天井石は3枚構造です。 終末期古墳の頂点に立つ技術は石材と石材の隙間がない事でもわかり予備知識なしでこの中に入ると古墳だと判らないほど洗練された精美な古墳です。玄室長は5.1m、幅2.9m、高さ2.7mで羨道長は7.3m、幅2.3m、高さ1.8mで早くから開口していたようで棺や出土遺物は知られていません。築造年代は石室の構造からみて古墳時代の終末期にあたる7世紀中頃と推定されており被葬者は当時この地の有力者であった阿倍倉梯麻呂の墓説が有力です。」と記されています。
立札。説明版。
石室入口。
石室内部。内部の石組部分。
墳丘上部。
ほぼ全景。
ほぼ全景。
Posted by じこま at
08:08
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