2020年06月12日

番外→補遺[1227-20] 牧野(ばくや)古墳 奈良県広陵町 円墳 径55(48~60)m

 ランキングの参考にさせてもらっているHP.「古墳探訪」では、径55mの円墳と記載してありましたが、下記の広陵町のHP.では直径約60mとなっています。また、河上邦彦さんは、「丘陵中央の巨大横穴式石室・牧野古墳 馬見丘陵中央部の丘陵の尾根端を利用して築かれた、いわゆる山寄せの円墳である(略)。直径約六〇メートル、しかし後背部の切り通しでみれば四八メートル、高さ約一二メートルの三段築成である。墳丘には埴輪があったが現位置を保つものはなかった。」(『大和葛城の大古墳群 馬見古墳群』 p.73)と述べています。西側の東屋からは円墳らしさは感じられず、北東側の公園からは円形の三段目しか見えず、とても60m規模の古墳には思えませんでした。しかし、ここでは径60mの円墳としてランキングします。
 古墳は、馬見古墳群の中央(巣山)支群の西端付近に位置しています。築山古墳(ランキング27位)・巣山古墳(ランキング28位)・新木山古墳(ランキング36位)・川合大塚山古墳(ランキング40位)といった200m級の巨大古墳が存在する馬見古墳群の中では、牧野古墳は小さな存在です。ただし、古墳時代後期(『前方後円墳集成』の9期・10期)に限定すれば、馬見古墳群で最大規模の古墳となります。       
 牧野古墳は、国の史跡に指定され、「牧野史跡公園」として整備されています。事前連絡すれば、巨大な玄室内部の見学ができるそうです。ただ、おっさんは他の巨大古墳の訪問を優先して、いつもこの古墳見学は日没近くになってしまい、薄暗い石室入口の絵しか撮っていませんでした。「サラ金や古墳訪問は、計画的にだらー」。
 広陵町のHP.の「観光 古墳」の中の「牧野(ばくや)古墳 (国指定史跡)」の項目で、「丘陵の奥部にある直径約60メートルの大型円墳で、墳丘は三段築成で造られ、二段目に横穴式石室が開口している。玄室(げんしつ)の長さ6.7メートル、幅3.3メートル、高さ4.5メートル、羨道(せんどう)の長さ10.4メートル、幅1.8メートルで、全長17.1メートルを測る大型石室である。玄室内には奥壁に沿って横向きに刳抜(くりぬき)式の家形石棺が安置され、その手前には組み合わせ式の家形石棺が置かれていたと考えられている。(中略) 古墳時代後期末葉の古墳で、舒明天皇の父である押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ)の成相墓(ならいのはか)の可能性が高い。」と記されています。
 白石太一郎さんも、「牧野古墳が『延喜式』にみえる押坂彦人大兄皇子(敏達の息子、舒明の父)の成相墓の蓋然性が大きく、」(『古墳とヤマト政権』 p.187)と述べています。そして、森浩一さんも、「考古学では、広陵町にある牧野古墳を当てる説が有力である。巨石で構築した横穴式石室が開口した古墳(円墳か)で、石室には二つの石棺があり、玄室の石棺は竜山石を用いた家形石棺で成相墓の可能性は高い」(『天皇陵古墳への招待』 p.239)と述べています。


 広陵町教委の説明板。


 石室入口。


 墳丘上部(三段目)。東から。


 やや全景。
            以上2013年11月撮影。

 
 公園の説明板。


 石室入口。


 全景。
              以上2012年3月撮影。  


Posted by じこま at 08:08Comments(1)