2020年06月14日

番外 文殊院東(閼伽井)古墳 奈良県桜井市 円墳 径20m

 下記のHP.でも記されているように、特別史跡である西古墳と比べてマイナーな東古墳ですが、奈良県の史跡に指定されています。また、石室入口から棺を納めた玄室に至る羨道部分に井戸があり、この水を仏前に供する(「閼伽」(あか)というそうです)ことから閼伽井古墳とも呼ばれています。脱線しますが、墓参りの時に墓石にお供えする無色の水も「あか」なのでしょうか。「変なこと言っとってはアカんだらー」。
 余談ですが、人物や物をかたちどった形象埴輪の中に、導水埴輪と呼ばれる埴輪が囲形埴輪・家形埴輪とセットで大型古墳から出土する場合があります。奈良県御所市の南郷大東遺跡などでは、導水施設と考えられる木製品や柱跡も見つかっています。想像を逞しくすれば、大型古墳に埋葬されるような大王や地域の有力者は、一般人が立ち入れない小屋の中で、カミに捧げる聖水を採取する秘儀を夜間に行っていたと妄想を広げてしまいます。時期は異なりますが、この東古墳でもその名残りが閼伽井として後世に残されたのでしょうか。
 桜井市観光協会のHP.の「文殊院東古墳(桜井市阿部)」の項目で、「国特別史跡の文殊院西古墳の東50mに位置する古墳ですが文殊院西古墳の陰に隠れ、素通りされることが多い古墳ですが、この古墳も堂々の県史跡。  墳丘は円墳又は方墳と思われますが詳しい調査は行われていないので規模は明らかではありません。横穴式石室は両袖式で全長が13m。玄室長4.7m、幅2.3~2.7m、高さ2.6m。羨道部は長さが8.3m、幅1.8~2m、高さ1.5mを測り南南西に開口しています。 玄室部はほとんど加工されていない自然石、羨道部は切石の花崗岩が使われているのが特徴で、石室の石材が自然石から切石に変化して行く過渡期の古墳と言えるでしょう。  また、この古墳は石室の羨道部に井戸があるところから閼伽井窟と呼ばれ,古くから信仰の対象とされてきました。現在石室内には入れませんが開口部から、およその雰囲気は感じ取ることができるでしょう。  出土遺物は不明ですが石室の形状より築造年代は7世紀前半と思われ当地の大豪族であった安倍氏一族の墳墓の可能性があります。」と記されています。


 説明板。


 石室入口。


 遠景。
              以上2013年3月撮影。  


Posted by じこま at 08:08Comments(1)