2020年12月12日

353-1 長浜茶臼山古墳のおまけの「龍ヶ鼻(たつがはな)1号墳」 滋賀県長浜市 前方後方墳 44m

 横山丘陵の北端に築かれた茶臼山古墳の南側の尾根上には、多数の古墳が築かれ横山古墳群とよばれています。その中でも、いくつかの小集団(支群)ごとに、龍ヶ鼻古墳群・小倉古墳群・堂ノ前古墳群などと称されています。
 長浜市教育委員会が発行したパンフレット「横山古墳群 長浜平野の重要地点」では、「横山古墳群は、長浜平野の東側に南北に横たわる丘陵の上に築かれた古墳群で、現在までに48基の古墳が見つかっています。 非常に見晴らしの良い、長浜平野全体を見渡せる位置に作られていることから、ふもとの広い土地を支配した権力者の墓だったと考えられます。 交通の上でも重要な地点であったため、戦国時代には山城として作り変えられています。」(p.1)、「龍ヶ鼻古墳群は茶臼山古墳の南東の山の頂上にまとまって築かれた古墳群です。前方後方墳や円墳、方墳など様々な形の古墳があります。 一つの古墳群の中でも古墳がいくつかの小さなまとまりに分かれてつくられていることがあり、そのまとまりを「支群」と呼ぶ場合があります。このようにまとまってつくられた古墳に葬られた人たちはお互いに近しい関係にあったと考えられます。」(p.2)と記されています。
 奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「龍ヶ鼻古墳」の項目では、「墳丘 形状:前方後円 墳長:44m 後円部:径24m 高:1.5m 前方部:幅12m 長20m 高1.5m 特記事項【その他】前方部は低平で、さほど開かない。くびれ部上面に山石が露出している。」と記されています。しかし、その後の調査で前方後方墳と確認されたようです。上記のパンフレットの記述にあるように、後世に山城として改変されていたようです。
 尾根上の古墳には、地元の垣籠町「こまざらいの会」の方々による標識が立てられていました。これがなければ、古墳かただの高まりか否かわかりませんでした。感謝申し上げます。また、古墳名と墳形はその標識を参考にさせていただきました。


 標識。


 後方部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後方部。

 後方部墳頂。
            以上2016年3月撮影。  


Posted by じこま at 08:08Comments(0)