2020年12月21日
353-9-1 長浜茶臼山古墳のおまけの「舟岩・天神岩」 滋賀県長浜市
堂ノ前1号墳と3号墳の間に位置する巨石です。想像をたくましくすると、古墳の石室として使用する予定の巨石が何らかの理由で放置されたと妄想してしまいました。江戸時代に編纂された地誌にも、不思議な巨石として記載されているそうです。ただし、舟岩の標識の「神代文字」というのは???でした。
天神岩から、西方の平地を見下ろすと垣籠古墳(ランキング[1227-1]、2019年3月21日掲載)の姿を見ることができました。
① 舟岩
標識。
舟岩。
② 天神岩
垣籠町自治会の説明板。
天神岩。
③ 天神岩から見る垣籠古墳の遠景。中央の林が前方部、その左側が後円部跡。
以上2016年3月撮影。
天神岩から、西方の平地を見下ろすと垣籠古墳(ランキング[1227-1]、2019年3月21日掲載)の姿を見ることができました。
① 舟岩
標識。
舟岩。
② 天神岩
垣籠町自治会の説明板。
天神岩。
③ 天神岩から見る垣籠古墳の遠景。中央の林が前方部、その左側が後円部跡。
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2020年12月20日
353-9 長浜茶臼山古墳のおまけの「堂ノ前3号墳」 滋賀県長浜市 前方後方墳 規模不詳
「堂ノ前支群」に属する前方後方墳です。1号墳と同様の墳形をしています。
標識。
後方部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後方部。
後方部墳頂。
以上2016年3月撮影。
標識。
後方部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後方部。
後方部墳頂。
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2020年12月19日
353-8 長浜茶臼山古墳のおまけの「堂ノ前2号墳」 滋賀県長浜市 方墳 規模不詳
「堂ノ前支群」に属する方墳です。
龍ヶ鼻4号墳より規模の大きさを感じさせる方墳です。
標識。
やや全景。
やや全景。
以上2016年3月撮影。
龍ヶ鼻4号墳より規模の大きさを感じさせる方墳です。
標識。
やや全景。
やや全景。
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2020年12月18日
353-7 長浜茶臼山古墳のおまけの「堂ノ前1号墳」 滋賀県長浜市 前方後方墳 規模不詳
「小倉支群」南東の尾根上に位置する、「堂ノ前支群」に属する古墳です。龍ヶ鼻1号墳や2号墳と同じ前方後方墳という墳形をしています。
この「堂ノ前支群」の中では、最も規模が大きいと思われます。
標識。
後方部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後方部。
後方部墳頂。
以上2016年3月撮影。
この「堂ノ前支群」の中では、最も規模が大きいと思われます。
標識。
後方部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後方部。
後方部墳頂。
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2020年12月17日
353-6 長浜茶臼山古墳のおまけの「小倉2号墳」 滋賀県長浜市 前方後円墳 規模不詳
横山古墳群「小倉支群」の2基の前方後円墳のうちの1基です。1号墳よりも、小規模な古墳です。
標識。
前方部から後円部。
以上2016年3月撮影。
標識。
前方部から後円部。
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2020年12月16日
353-5 長浜茶臼山古墳のおまけの「小倉1号墳」 滋賀県長浜市 前方後円墳 規模不詳
横山古墳群の「龍ヶ鼻支群」の南東に位置する「小倉支群」の古墳です。「龍ヶ鼻支群」には前方後円墳はありませんでしたが、この「小倉支群」には、2基の前方後円墳が築造されています。
標識。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後円部。
後円部墳頂。
以上2016年3月撮影。
標識。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。
後円部墳頂。
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2020年12月15日
353-4 長浜茶臼山古墳のおまけの「龍ヶ鼻(たつがはな)4号墳」 滋賀県長浜市 方墳 規模不詳
横山古墳群の「龍ヶ鼻支群」に属する古墳です。「龍ヶ鼻支群」は、小規模な支群にもかかわらず、この4号墳は方墳、1・2号墳は前方後方墳、3号墳は円墳と墳形の種類が異なっているのが特徴的です。
標識。
ほぼ全景。
ほぼ全景。
以上2016年3月撮影。
標識。
ほぼ全景。
ほぼ全景。
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2020年12月14日
353-3 長浜茶臼山古墳のおまけの「龍ヶ鼻(たつがはな)3号墳」 滋賀県長浜市 円墳 規模不詳
横山古墳群の「龍ヶ鼻支群」に属する古墳です。1・2号墳は前方後方墳でしたが、この3号墳は円墳だそうです。
標識。
ほぼ全景。
ほぼ全景。
以上2016年3月撮影。
標識。
ほぼ全景。
ほぼ全景。
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2020年12月13日
353-2 長浜茶臼山古墳のおまけの「龍ヶ鼻(たつがはな)2号墳」 滋賀県長浜市 前方後方墳 規模不詳
標識によると、この古墳も1号墳と同じ前方後方墳という墳形をしているそうです。ただし、その規模は1号墳よりも小さなようです。
尾根上に古墳が造られているので、人が通った部分の雑草が薄くなっています。
また、横山丘陵西側の麓に、地元の垣籠町「こまざらいの会」による案内板が立てられていました。
標識。
後方部右側。左側。

前方部。
前方部から後方部。
後方部墳頂。
垣籠町「こまざらいの会」の案内板。
横山古墳群遠景。
以上2016年3月撮影。
尾根上に古墳が造られているので、人が通った部分の雑草が薄くなっています。
また、横山丘陵西側の麓に、地元の垣籠町「こまざらいの会」による案内板が立てられていました。
標識。
後方部右側。左側。
前方部。
前方部から後方部。
後方部墳頂。
垣籠町「こまざらいの会」の案内板。
横山古墳群遠景。
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2020年12月12日
353-1 長浜茶臼山古墳のおまけの「龍ヶ鼻(たつがはな)1号墳」 滋賀県長浜市 前方後方墳 44m
横山丘陵の北端に築かれた茶臼山古墳の南側の尾根上には、多数の古墳が築かれ横山古墳群とよばれています。その中でも、いくつかの小集団(支群)ごとに、龍ヶ鼻古墳群・小倉古墳群・堂ノ前古墳群などと称されています。
長浜市教育委員会が発行したパンフレット「横山古墳群 長浜平野の重要地点」では、「横山古墳群は、長浜平野の東側に南北に横たわる丘陵の上に築かれた古墳群で、現在までに48基の古墳が見つかっています。 非常に見晴らしの良い、長浜平野全体を見渡せる位置に作られていることから、ふもとの広い土地を支配した権力者の墓だったと考えられます。 交通の上でも重要な地点であったため、戦国時代には山城として作り変えられています。」(p.1)、「龍ヶ鼻古墳群は茶臼山古墳の南東の山の頂上にまとまって築かれた古墳群です。前方後方墳や円墳、方墳など様々な形の古墳があります。 一つの古墳群の中でも古墳がいくつかの小さなまとまりに分かれてつくられていることがあり、そのまとまりを「支群」と呼ぶ場合があります。このようにまとまってつくられた古墳に葬られた人たちはお互いに近しい関係にあったと考えられます。」(p.2)と記されています。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「龍ヶ鼻古墳」の項目では、「墳丘 形状:前方後円 墳長:44m 後円部:径24m 高:1.5m 前方部:幅12m 長20m 高1.5m 特記事項【その他】前方部は低平で、さほど開かない。くびれ部上面に山石が露出している。」と記されています。しかし、その後の調査で前方後方墳と確認されたようです。上記のパンフレットの記述にあるように、後世に山城として改変されていたようです。
尾根上の古墳には、地元の垣籠町「こまざらいの会」の方々による標識が立てられていました。これがなければ、古墳かただの高まりか否かわかりませんでした。感謝申し上げます。また、古墳名と墳形はその標識を参考にさせていただきました。
標識。
後方部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後方部。
後方部墳頂。
以上2016年3月撮影。
長浜市教育委員会が発行したパンフレット「横山古墳群 長浜平野の重要地点」では、「横山古墳群は、長浜平野の東側に南北に横たわる丘陵の上に築かれた古墳群で、現在までに48基の古墳が見つかっています。 非常に見晴らしの良い、長浜平野全体を見渡せる位置に作られていることから、ふもとの広い土地を支配した権力者の墓だったと考えられます。 交通の上でも重要な地点であったため、戦国時代には山城として作り変えられています。」(p.1)、「龍ヶ鼻古墳群は茶臼山古墳の南東の山の頂上にまとまって築かれた古墳群です。前方後方墳や円墳、方墳など様々な形の古墳があります。 一つの古墳群の中でも古墳がいくつかの小さなまとまりに分かれてつくられていることがあり、そのまとまりを「支群」と呼ぶ場合があります。このようにまとまってつくられた古墳に葬られた人たちはお互いに近しい関係にあったと考えられます。」(p.2)と記されています。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の「龍ヶ鼻古墳」の項目では、「墳丘 形状:前方後円 墳長:44m 後円部:径24m 高:1.5m 前方部:幅12m 長20m 高1.5m 特記事項【その他】前方部は低平で、さほど開かない。くびれ部上面に山石が露出している。」と記されています。しかし、その後の調査で前方後方墳と確認されたようです。上記のパンフレットの記述にあるように、後世に山城として改変されていたようです。
尾根上の古墳には、地元の垣籠町「こまざらいの会」の方々による標識が立てられていました。これがなければ、古墳かただの高まりか否かわかりませんでした。感謝申し上げます。また、古墳名と墳形はその標識を参考にさせていただきました。
標識。
後方部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後方部。
後方部墳頂。
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