2020年06月04日
番外 中山荘園古墳 兵庫県宝塚市 八角墳 11→(13)m
飛鳥時代後半の天皇(大王)陵古墳に特徴的な八角墳について紹介してきました。奈良県以外でも数例、飛鳥時代の八角墳が発見されています。おっさんが訪問した古墳の中で、最初に、中山荘園古墳を紹介します。
宝塚市のHP.の「国指定史跡 中山荘園古墳」の項目で、「中山荘園古墳は宝塚市中山荘園12の地にあり、昭和58年(1983年)3月に集合住宅の建設に先立ち発掘調査を実施しました。(中略) 発掘により外護列石が多角形を示すことが判明したため注目を集め、昭和59年(1984年)国及び兵庫県の補助を受け、未発掘部分の西側約200平方メートルの学術調査を実施し、古墳の全容が明らかになりました。古墳の規模は径約13メートル、高さ約2.6メートルで墳丘は円墳状を呈し、周囲の外護列石が八角墳を意図した多角形です。列石は北から南へ傾斜し、墳丘裾に6面に巡っており、一部で2列から4列検出されましたが、基本的には2列のようです。 また南面する前庭部にはテラス状の張り出し部があり、(幅約8メートル、長さ約4メートル)その裾部にも葺石状にこぶし大の石を張り付けています。これらの遺構は古墳の前庭部における墓前祭祀の場と考えられています。(中略) 古墳の築造時期は7世紀の第二四半期前後であると考えられます。6面の外護列石が八角形を意図したものかどうかによって、研究者の間にも見解の相違はありますが、基本的に八角形を意図したとみる研究者が多く、わが国の終末期古墳を考えるうえで、畿内における貴重な資料を提供することになりました。八角墳は中尾山古墳や段ノ塚古墳、天武持統合葬陵等、天皇陵クラスの古墳が多く、築造時期も7世紀の第3四半期ごろに出現すると考えられてきましたが、近年群馬県や広島県、東京都などで八角墳と見られる古墳が見つかっています。 天皇陵など律令国家成立期の八角墳化については中央集権国家の成立過程で作られたとする論拠が主流ですが、その他の地方豪族が多角墳を作ることの意味は明確ではなく、今後の研究に待つべき点が多くあります。」と記されています。
古墳は、丘陵地の尾根先端部に築造され、ロータリーのある高級マンションの西側に位置しています。八角墳でなければ、発掘調査後宅地造成で破壊されていたかもしれません。1999年に国の史跡に指定され、墳丘などは整備されています。余談ですが、古墳名に「荘園」とあり、「荘園」と「古墳」の組み合わせに奇異な印象を持ちましたが、地名が「中山荘園」でした。
標柱。宝塚市教委の説明板4枚。




石室入口。
ほぼ全景。西から。
ほぼ全景。北西から。
ほぼ全景。南西から。
ほぼ全景。南東から。
以上2016年10月撮影。
宝塚市のHP.の「国指定史跡 中山荘園古墳」の項目で、「中山荘園古墳は宝塚市中山荘園12の地にあり、昭和58年(1983年)3月に集合住宅の建設に先立ち発掘調査を実施しました。(中略) 発掘により外護列石が多角形を示すことが判明したため注目を集め、昭和59年(1984年)国及び兵庫県の補助を受け、未発掘部分の西側約200平方メートルの学術調査を実施し、古墳の全容が明らかになりました。古墳の規模は径約13メートル、高さ約2.6メートルで墳丘は円墳状を呈し、周囲の外護列石が八角墳を意図した多角形です。列石は北から南へ傾斜し、墳丘裾に6面に巡っており、一部で2列から4列検出されましたが、基本的には2列のようです。 また南面する前庭部にはテラス状の張り出し部があり、(幅約8メートル、長さ約4メートル)その裾部にも葺石状にこぶし大の石を張り付けています。これらの遺構は古墳の前庭部における墓前祭祀の場と考えられています。(中略) 古墳の築造時期は7世紀の第二四半期前後であると考えられます。6面の外護列石が八角形を意図したものかどうかによって、研究者の間にも見解の相違はありますが、基本的に八角形を意図したとみる研究者が多く、わが国の終末期古墳を考えるうえで、畿内における貴重な資料を提供することになりました。八角墳は中尾山古墳や段ノ塚古墳、天武持統合葬陵等、天皇陵クラスの古墳が多く、築造時期も7世紀の第3四半期ごろに出現すると考えられてきましたが、近年群馬県や広島県、東京都などで八角墳と見られる古墳が見つかっています。 天皇陵など律令国家成立期の八角墳化については中央集権国家の成立過程で作られたとする論拠が主流ですが、その他の地方豪族が多角墳を作ることの意味は明確ではなく、今後の研究に待つべき点が多くあります。」と記されています。
古墳は、丘陵地の尾根先端部に築造され、ロータリーのある高級マンションの西側に位置しています。八角墳でなければ、発掘調査後宅地造成で破壊されていたかもしれません。1999年に国の史跡に指定され、墳丘などは整備されています。余談ですが、古墳名に「荘園」とあり、「荘園」と「古墳」の組み合わせに奇異な印象を持ちましたが、地名が「中山荘園」でした。
標柱。宝塚市教委の説明板4枚。
石室入口。
ほぼ全景。西から。
ほぼ全景。北西から。
ほぼ全景。南西から。
ほぼ全景。南東から。
Posted by じこま at 08:08│Comments(0)