2021年05月02日
番外 上侍塚北古墳 栃木県大田原市 前方後方墳 49m
古墳は、その名の通り上侍塚古墳の北に位置しています。国の史跡である上侍塚古墳や下侍塚古墳と比べてマイナーで、しかも民家や農地の間にあるので、うっかりすると見落としてしまいます。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の、「上侍塚北古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後方 墳長:48.5m 後円(ママ)部:径(ママ)24m 高5m 前方部:幅13.5m 長24.5m 高3m 特記事項【周濠】ない可能性が強い。」と記されています。
前にも書きましたが、上侍塚古墳・下侍塚古墳は、水戸光圀(黄門さん)が佐々介三郎宗淳(助さん)に命じて発掘調査をしたことで知られています。その目的は、「那須国造碑」に記された国造が、古墳の被葬者か否か明らかにすることでした。
現在、国宝に指定されている「那須国造碑」も光圀の命で保護され、下侍塚古墳の約700m北にある笠石神社の御神体となっています。おっさんも、拝見させてもらいましたが、国宝を数センチの至近距離で直に見たのは、後にも先にもない貴重な経験でした。
この古墳は、2018年6月2日のブログ、「514-おまけ 上侍塚北古墳および侍塚古墳群」で紹介していました。ただし、2017年3月の絵しか掲載していませんでしたので、今回はそれ以前に訪問した時の絵も載せました。
全景。右が前方部、左が後方部。西から。
全景。右が後方部、左が前方部。南南東から。

遠景。南の上侍塚古墳の後方部から見る。南から。
以上2017年3月撮影。
2つで全景。前方部左側から後方部。
2つで全景。前方部。
墳丘(後方部端か)。
以上2009年11月撮影。
奈良女子大学の「前方後円墳データベース(全国版)」の、「上侍塚北古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後方 墳長:48.5m 後円(ママ)部:径(ママ)24m 高5m 前方部:幅13.5m 長24.5m 高3m 特記事項【周濠】ない可能性が強い。」と記されています。
前にも書きましたが、上侍塚古墳・下侍塚古墳は、水戸光圀(黄門さん)が佐々介三郎宗淳(助さん)に命じて発掘調査をしたことで知られています。その目的は、「那須国造碑」に記された国造が、古墳の被葬者か否か明らかにすることでした。
現在、国宝に指定されている「那須国造碑」も光圀の命で保護され、下侍塚古墳の約700m北にある笠石神社の御神体となっています。おっさんも、拝見させてもらいましたが、国宝を数センチの至近距離で直に見たのは、後にも先にもない貴重な経験でした。
この古墳は、2018年6月2日のブログ、「514-おまけ 上侍塚北古墳および侍塚古墳群」で紹介していました。ただし、2017年3月の絵しか掲載していませんでしたので、今回はそれ以前に訪問した時の絵も載せました。
全景。右が前方部、左が後方部。西から。
全景。右が後方部、左が前方部。南南東から。
遠景。南の上侍塚古墳の後方部から見る。南から。
2つで全景。前方部左側から後方部。

2つで全景。前方部。

墳丘(後方部端か)。

Posted by じこま at 08:08│Comments(0)