2019年03月13日

1213-2 鶴窪古墳のおまけの「六孫王原古墳」 千葉県市原市 前方後方墳 46m

 「姉崎古墳群」の中では、あまり例のない前方後方墳という墳形の六孫王原古墳を紹介します。一般的に、「前方後方墳」は古墳時代前期に築造されその後見られなくなる墳形です。しかしこの古墳は、前方後円墳の築造が終わる時期以降(終末期)に造られたと考えられている全国的にも珍しい古墳です。
 市原市埋蔵文化財調査センターのHP.の「遺跡フャイル」の「六孫王原古墳 ろくそんのうばら」の項目で、「六孫王原古墳は、姉崎古墳群の中では最も新しい一群で、墳丘全長45.6mの前方後方墳です。後方部の裾に凝灰質砂岩による横穴式石室が構築されていますが、後世の盗掘により大きく破壊されています。副葬品には、毛彫り文様を持つ金銅製馬具の破片、直刀片・鉄鏃・刀子が断片的に遺されています。(中略)これらの遺物の形からすると、古墳は7世紀後半に築かれたと推定できます。」と記されています。


 市原市教委の説明板。



 後方部中央・右側。左側。

 前方部右側。左側。


 前方部から後方部。前方部左隅から後方部。


 ほぼ全景(横から)。右が前方部、左が後方部。西から。
            以上2015年11月撮影。  


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2019年03月13日

1213 鶴窪古墳 千葉県市原市 60m

 市原市埋蔵文化財調査センターの「遺跡フャイル」の「鶴窪古墳 つるくぼ」の項目で、「鶴窪古墳は、西方向台地崖側に後円部を向ける、全長約60mの前方後円墳です。前方後円墳といっても、鶴窪古墳の墳形はやや特異であり、上下2段の墳丘のうち、下段は後円部と前方部の境がない盾形であったことがわかっています。また、現状では、後円部に対して前方部の幅、高さとも極端に大きく見えます。」と記されています。市原市の史跡に指定されています。
 訪問時は、説明板もよく読まずに絵を撮っていたので、従来の感覚で前方部と後円部を判断していました。一般的に前期の前方後円墳の前方部の高さと幅は小さく、後期になると前方部の幅と高さは大きくなり、後円部より大きくなるケースもあります。その点をうっかりして、前方部と後円部を勘違いしていました。そのため、「前方部から後円部」を撮ったつもりが、実際は「後円部から前方部」の絵でした。「しっかりしりん」。
 鶴窪古墳は「姉崎古墳群」に属し、「内裏塚古墳群」とともに千葉県屈指の大古墳群です。すでに何度か触れていますが、姉崎天神山古墳(ランキング122位)や姉崎二子塚古墳(ランキング284位)が群中では代表的な古墳です。

 市原市教委の説明板。


 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 後円部から前方部。


 全景。右が前方部、左が後円部。南東から。
            以上2015年11月撮影。



 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 2つで全景。先が後円部、後が前方部。


 全景。右が後円部、左が前方部。
            以上2012年11月撮影。  


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