2019年03月06日

1202 羽黒城屋敷古墳 愛知県犬山市 60m

 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「羽黒城屋敷古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:推定60m 前方部:幅30m 長28m 高8(土盛により改変) 特記事項【周濠】あり(幅15m)。【その他】羽黒城跡、後円部破壊。」と記されています。
 古墳は、名鉄小牧線の「羽黒」駅の約300m北西に位置しています。興禅寺の東側の住宅地の中の細道を進むと、林の中に小高い墳丘が残されています。ただし、中世に城郭として使用されていたために墳形はかなり変形されています。前方部盛土部分に、「羽黒城址」の石碑が建立されています。「←羽黒城址」の案内板があるので、それにしたがって進めば迷うことはありません。2012年の発掘調査では、古墳の遺構を示す痕跡は見つからなかったそうです。
 当初、「羽黒城址」の石碑のある部分を後円部墳頂と思い込んでいましたが、ここは城郭使用の際前方部に盛土をして、他の部分より高くした箇所のようです。 

 「羽黒城址」の石碑。

 犬山市教委の説明板。拡大部分。


 前方部盛土部分右側。左側。

 前方部墳丘。


 前方部端全景。
            以上2013年6月撮影。  続きを読む


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2019年03月06日

1201 豊場青塚古墳 愛知県豊山町 60m→(径50mの円墳または100m級の前方後円墳)

 早野浩二さんは、「現在、墳丘に接して北側に民家、西側に道路、南側に公民館が建設されている。また、本墳の北西側と東側は、墳丘が大きく削られ、墳丘盛土が露出する。一方で、墳丘の西側と北側の上位部分は、比較的旧状を残していると思われる。墳丘は円丘状を呈し、本墳が円墳あるいは前方後円墳であることは疑いないが、現状からはより具体的に墳形を決定することはできない。(中略) 本墳は、墳形が確定しないながら、現状では径約50mを計測する2段築成の大型円墳として把握される。あるいは、すでに前方部が失われたものと仮定するなら、推定で100m級の前方後円墳として復原されることになる。いづれにせよ、大型墳であることは事実である。」(「38 豊場青塚古墳」 『愛知県史 資料編3 考古3 古墳』所収p.168)と述べています。なお、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「豊場青塚古墳」の項目では、「墳丘 形状:前方後円 築成:後円部:3段 墳長:60? 後円部:径15m 特記事項【周濠】あり?。【その他】後円部のみ残存。」と記されていますが、後円部の「径15m」は誤記だと思われます。根拠はありませんが、ここでは、前方部が削平された前方後円墳として書いていきます。「勝手に決めたらいかんだらー」。
 上記のように、現状では円墳状態ですが、高さのある墳丘が残されています。墳丘上には、冨士社の社殿が建立されています。古墳は、上部に名古屋高速小牧線が通る国道41号線の「豊場八反」交差点の約500m東の住宅街に位置しています。全くの余談ですが、約500m東に、メジャーリーガーのイチロー展示ルームの「アイ・ファイン」があります。豊山町はイチロー選手の出身地でした。

 豊山町文化財研究会の説明板。


 後円部墳頂。


 後円部。北東から。


 後円部。南東から。


 前方部跡から後円部。南西から。
            以上2016年11月撮影。


 冨士神社の石柱。

 近くのバス停。


 後円部近景。


 後円部。南東から。
              以上2013年6月撮影。



    追記 (2019年9月13日)

 伊藤秋男さんは、「直径四〇メートル、高さ六メートルほどの円墳のように見える。しかし、地籍図(略)には二重周溝の存在を示す情報があり、しかも周溝が西へさらに延びる傾向が読みとれるため、馬蹄形の周溝をもつ全長一〇〇メートル以上の前方後円墳が復元できる。」(『地籍図で探る古墳の姿(尾張編)』 p.75)と述べています。  


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