2019年03月28日
01 大山古墳 大阪府堺市 486→(525)m
古墳の前方部の前面にある拝所(幕末か明治時代に設置だったか?)にある立札です。宮内庁は、日本書紀などにより仁徳「天皇」(通説では、天皇という称号が使用されたのは、天武天皇以降と云われているので、それ以前は「天皇」とします。面倒くさいけど。)の百舌鳥耳原中陵としていますが、研究者のなかには①仁徳「天皇」の実在そのものが?②実在したとしても、これが仁徳「天皇」の古墳か?
と疑わしいとして、大山(仙)古墳と呼んでいます。
2008年10月撮影。
追記(2019年3月28日)
徳田誠志さんは、「仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵第1濠内三次元地形測量調査報告」(陵墓調査室 『平成28年度 陵墓関係調査報告』所収)で、「以上、今回の計測データから得られた水面より上の部分の墳丘長と後円部径、さらに現状の濠底での墳丘長と後円部径を示した。墳丘長は481.13mと525.01m、後円部径は248.44mと286.33mとなり、どちらも後者が9~15%程度増加した数値となっている。濠水のある前方後円墳の全長を計測する場合、どこで計測するかについては必ずしも定義があるわけではないが、本陵においては現在水面上に見えている部分の墳丘長481.13m、そして現在の濠底面での計測値は525.01mとなる。しかしかつての濠底は現在よりも深かったことが確実であり、現在の濠底での計測値が何かしらの意味を持つとはいえない。すなわちこの数値が築造時の墳丘長を示すものではないことを理解した上で、今後利用していく必要があろう。築造時の墳丘長を知るためには、堆積土を除去し、真の濠底面(地山面)において計測する必要があるが、現在の技術力ではまだ信頼のおける精度で計測することは難しいようである。」(p.134)と述べています。
と疑わしいとして、大山(仙)古墳と呼んでいます。
追記(2019年3月28日)
徳田誠志さんは、「仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵第1濠内三次元地形測量調査報告」(陵墓調査室 『平成28年度 陵墓関係調査報告』所収)で、「以上、今回の計測データから得られた水面より上の部分の墳丘長と後円部径、さらに現状の濠底での墳丘長と後円部径を示した。墳丘長は481.13mと525.01m、後円部径は248.44mと286.33mとなり、どちらも後者が9~15%程度増加した数値となっている。濠水のある前方後円墳の全長を計測する場合、どこで計測するかについては必ずしも定義があるわけではないが、本陵においては現在水面上に見えている部分の墳丘長481.13m、そして現在の濠底面での計測値は525.01mとなる。しかしかつての濠底は現在よりも深かったことが確実であり、現在の濠底での計測値が何かしらの意味を持つとはいえない。すなわちこの数値が築造時の墳丘長を示すものではないことを理解した上で、今後利用していく必要があろう。築造時の墳丘長を知るためには、堆積土を除去し、真の濠底面(地山面)において計測する必要があるが、現在の技術力ではまだ信頼のおける精度で計測することは難しいようである。」(p.134)と述べています。
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09:10
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2019年03月28日
1228-0
これで「公約」どおり60m以上の古墳の紹介を終えることができました。今までこのブログをご覧いただき感謝申し上げます。HP.「古墳探訪」の「墳丘規模」の「規模順位」がなければ、このような狂気じみた行動を起こすことはなかったでしょう。また、HP.「埼群古墳館」や奈良女子大学の前方後円墳データベースの正確な位置情報がなければ古墳にたどり着くことができませんでした。さらに、奈良文化財研究所の「全国遺跡報告総覧」がなければ最新・正確なデータを入手することが出来ませんでした。そして、古墳見学を許可していただいた関係者の方々にも感謝申し上げます。
ただ、未訪問古墳や再訪問古墳がありますので、訪問し次第掲載したいと思います。また、60m未満の古墳の画像も若干ありますので、これからも順次掲載したいと思います。そして、墳丘規模のデータも正確・最新のものがあれば、訂正していきたいと思います。例えば、従来大山古墳(ランキング1位)の墳丘規模は486mとされてきましたが、宮内庁の三次元測量調査では、周濠内の見えない部分を測定して525mという結果を示しています。
ただ、未訪問古墳や再訪問古墳がありますので、訪問し次第掲載したいと思います。また、60m未満の古墳の画像も若干ありますので、これからも順次掲載したいと思います。そして、墳丘規模のデータも正確・最新のものがあれば、訂正していきたいと思います。例えば、従来大山古墳(ランキング1位)の墳丘規模は486mとされてきましたが、宮内庁の三次元測量調査では、周濠内の見えない部分を測定して525mという結果を示しています。
Posted by じこま at
09:09
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2019年03月28日
[1227-12] 東中道古墳 岐阜県大垣市 60m
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「東中道古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:60? 特記事項【その他】1888年の地籍図で判明した痕跡墳。須恵器を数点表採。」と記されています。
消滅古墳です。現在は水田になっています。
約100m東に遊塚古墳(ランキング566位)、約600m南南東に粉糠山古墳(ランキング308位)、約900m南東に昼飯大塚古墳(ランキング71位)があります。
跡地付近。北から。
跡地付近。北西から。
以上2016年5月撮影。
消滅古墳です。現在は水田になっています。
約100m東に遊塚古墳(ランキング566位)、約600m南南東に粉糠山古墳(ランキング308位)、約900m南東に昼飯大塚古墳(ランキング71位)があります。
跡地付近。北から。
跡地付近。北西から。
Posted by じこま at
08:08
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