2021年08月04日

番外 備前車塚古墳 岡山県岡山市 前方後方墳 48m

 三角縁神獣鏡11面を含む13面の銅鏡の出土で有名な古墳です。小林行雄さんの「同笵鏡の分有関係」の図では、「京都 大塚山」に次いで、この「岡山 車塚」に多くの直線が結ばれています。小林さんは、「岡山県車塚の首長の手に集められた鏡群は、一一面の三角縁神獣鏡のうち八種九面の同笵鏡を、東国を主とする一二基の古墳とのあいだに分有し、京都府大塚山古墳とも三種を共有するというように、同笵鏡としての意識をともなった、計画的な分配を可能とする状態におかれたものであった」と述べています。(「古墳の発生の歴史的意義」、『古墳時代の研究』所収p.154)
 残念ながら、銅鏡などの副葬品は発掘調査ではなく、盗掘によって掘り出されたため正確な出土状況は不明だそうです。ひょっとすると、奈良県天理市の黒塚古墳のように、画文帯神獣鏡や内行花文鏡は被葬者の頭付近に、三角縁神獣鏡は木棺の周囲に立て掛けられていたのかも、という妄想が広がってしまいました。
 この古墳も、近藤義郎さんが責任者の一人として発掘調査を実施しています。当時の様子を、「松の枝にかけたトランジスタ・ラジオから流れる当時流行の「帰ってきたヨッパライ」を聞きながら、毎日同じ飯を食べ漬物をかじり同じ味の汁を啜った。」(『発掘五〇年』p.410)と述懐しています。古墳の発掘中に、「オラは死んじまったダー」の声が流れるとは・・・。
 「墳形は前方後方墳で墳長四八・三メートル、後円(ママ)部長さ二六・五メートル、同後幅二四・五メートル、同前幅二三メートル、前方部は撥形でくびれ部からゆるやかに開き、しだいに強い開きをみせる式である。長さ二一・八メートル、くびれ部の幅一〇・五メートルに対し前面幅約二二メートル、その開きは顕著(後略)」(上掲書 p.411)と記しています。
 10年以上前の訪問なので、墳形の絵は現在のようにパターン化していません。おまけに、指まで・・・「もっと上手に写しん」。
 余談ですが、かつては「湯迫車塚古墳」と呼ばれていたような気がしますが・・・。「きっと、四御神町内からクレームがあったんだらー」。

  
 竜之口学区連合町内会の説明板。
番外 備前車塚古墳 岡山県岡山市 前方後方墳 48m

 案内板。説明板。
番外 備前車塚古墳 岡山県岡山市 前方後方墳 48m
番外 備前車塚古墳 岡山県岡山市 前方後方墳 48m


 墳丘上の葺石。
番外 備前車塚古墳 岡山県岡山市 前方後方墳 48m

 後方部墳頂。
番外 備前車塚古墳 岡山県岡山市 前方後方墳 48m
            指が邪魔。

 後方部か。
番外 備前車塚古墳 岡山県岡山市 前方後方墳 48m


 前方部から後方部。
番外 備前車塚古墳 岡山県岡山市 前方後方墳 48m


 道中の眺め。
番外 備前車塚古墳 岡山県岡山市 前方後方墳 48m
            以上2009年2月撮影。



Posted by じこま at 08:08│Comments(6)
この記事へのコメント
1日のは、どうでしたでしょうか。ご覧いただけましたでしょうか。じこまさんの古墳調査のように、全国を股にかけた根気のある調査には、いつも敬服しております。私の調査も、71年間、不明だったものを2016年に突きとめたものです。
1日のを「見たよ」あるいは「見逃してしまったよ」とだけでも、お答えください。見逃されていた場合、12日に再放送があります。
Posted by かんちゃん at 2021年08月04日 22:46
 7月31日のブログのコメントで、視聴の感想を述べさせてもらいました。 
 こちらは、調査というより、夏休みにセミ取りに夢中になっている小学生のようなもんです。現実逃避の、ただの道楽にすぎません。
Posted by じこまじこま at 2021年08月04日 23:22
7月31日のコメント、拝見しました。「ただの道楽」そんなことないですよ。「好きなこと」であることはまちがいないですよね。私もそうです。だから、仕事の合間に調べることができたと思います。
Posted by かんちゃん at 2021年08月06日 10:21
 コメントありがとうございます。
 森浩一さんは、「ぼくの考えでは、学問というものは、自分の甲斐性でやるものである。早い話、江戸時代の国学者の本居宣長をみても、本業は開業医であり、その職業の合間に『古事記伝』という不朽の名作を生みだしたのである。宣長は藩からも、まして幕府からは、一文の援助をうけることなく研究をつづけたのである。 宣長のような学者をぼくは町人学者とよんでいる。(中略)これにたいして政府機関や都道府県などに精神までも雇われている研究者に、ぼくは官僚学者という言葉を当てている。」(「国が学者を雇うということ」p.221 『森浩一の考古学人生』)と述べています。
 森さんの言う「町人学者」には程遠いですが、精神だけは「町人学者」になりたいという思いで、「道楽」という言葉を使っています。
Posted by じこまじこま at 2021年08月07日 13:51
なるほど、よくわかりました。そういう意味では私も「ただの道楽」ですね。「お上」とは何の関係もない。それを続けることができたことは楽しかったです。じこまさんもそうでしょう。今日8月12日の中日新聞夕刊、よかったら、見てください。
Posted by かんちゃん at 2021年08月12日 10:13
 12日の中日新聞夕刊の記事拝見しました。日頃の「地域に根ざすフィールドワーク」の成果ですね。ご教示ありがとうございました。
 自分は、人と話すのが苦手なので、極力一人で古墳探訪をしていますが、やはり困ったときは、地域の方々に助けられたことが何度かあります。ただ、不審者と疑われた時の自己弁護の方が多いですが・・・。
 言い訳ですが、家では、中日新聞ではなく、Fさんの旧石器捏造事件をスクープしたこの地域では希少価値が高い新聞を取っているので、返信が遅れました。
Posted by じこまじこま at 2021年08月14日 11:41
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