2018年07月29日

補遺(百舌鳥古墳群の消滅古墳) [622] 城ノ山古墳 大阪府堺市 77m

 久世仁士さんは、「城ノ山古墳はニサンザイ古墳と御廟山古墳の中間にありました。土砂採取によって破壊されましたが、一九五〇年、森浩一氏らによって墳丘測量と埋葬施設の発掘が行われています。(中略)墳丘長七七メートル、後円部直径五三メートル、前方部幅六〇メートル(推定)の前方後円墳で後円部に長さ六.七メートル、幅一.五メートルの細長い竪穴式石槨を持ちます。(中略)古墳のあった場所は現在、堺市営百舌鳥住宅となっています。」(『百舌鳥古墳群をあるく』p.129)と述べています。
 古墳の跡地は周囲より小高い場所にあり、北方に百舌鳥御廟山古墳(ランキング49位)を見ることができます。定ノ山古墳(ランキング672位)の項目でも書きましたが、堺市の「城の山公園」とは異なる場所にあった城ノ山古墳です。「ややこしいだらー」。

 前方部左隅跡から後円部跡。西から。


 後円部跡から前方部跡。東から。


 跡地全景。南から。
            北区百舌鳥西之町1丁。              以上2017年9月撮影。  


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2018年07月29日

補遺(百舌鳥古墳群の消滅古墳) [433-4] ド古墳 大阪府堺市 90m前後

 久世仁士さんは、「上野芝駅の北側に隣接して北面の小型の前方後円墳があり、阪和線敷設の際に縦断され、残った部分もその後に消滅したと、末永雅雄氏が「古墳の周庭帯と陪塚」(「書陵部紀要」一三号)に書かれています。この古墳は「堺市文化財地図」にも載っていませんが、堺市文化財課では、「百舌鳥耳原三御陵」絵図(高林家所蔵)にある「ド塚」で、墳丘長が九〇メートル前後の前方部を西に向けた前方後円墳と推定しています(中略)。堺市の最近の調査で、駅の自転車置き場から古墳の堀の跡らしきものが見つかりました(上野芝駅前遺跡)。これがド塚古墳の跡であるかどうかは不明で、別の古墳であったかもわかりません。」(『百舌鳥古墳群をあるく』p.83)と述べています。 
 この古墳は、石津ミサンザイ古墳(ランキング3位)の前方部南東隅の周濠に近接していたと考えられます。また、約300m西に、消滅古墳の百舌鳥大塚山古墳(ランキング[58]位)があります。「どすごいブログ」に「ド古墳」なんて「どすごい」。

 後円部跡付近。西から。
            西区上野芝町3丁5付近。中央のガードレール奥が、JR阪和線。

 前方部跡から後円部跡付近。西から。
            西区上野芝町1丁25付近。            以上2017年9月撮影。     


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2018年07月29日

補遺(百舌鳥古墳群の消滅古墳) [229-2] 長山古墳 大阪府堺市 推110m

 消滅古墳です。跡地は、堺市の市営協和町団地となっています。
 久世仁士さんは、「長山古墳は江戸時代の水田開発や昭和初期の区画整理事業により墳丘の大部分がなくなっていますが、江戸時代の絵図などから墳丘長一一〇メートルの前方後円墳でまわりに堀を持っていたことが推定されていました。(中略)二〇一三年に市営住宅の建て替え工事に伴い、長山古墳の発掘調査が行われ、その一端が明らかになりました。北東側で後円部の墳丘裾をうかがわせる葺石の一部が、東側では墳丘の輪郭に沿って並べられたと見られる基底石と葺石が出土し、堀の痕跡も見つかりました。」(『百舌鳥古墳群をあるく』p.94)
と述べられています。

 跡地付近。


 跡地付近。
            以上2013年12月撮影。  


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2018年07月29日

補遺 [106] 大須二子山古墳 愛知県名古屋市 138(75)m

 消滅古墳です。跡地は、現在名古屋スポーツセンターになっており、あの浅田真央さんや村上佳菜子さんが腕を磨いたスケートリンクがこの場所です。
 服部哲也さんは、「本墳は前方部を南に向ける前方後円墳である。山田吉昭は全長約50m、後円部直径約30mの規模を、また田中稔は全長約75m、後円部直径約40mの復原値(田中調査当時の残存長は67m、高さ8mとしている)を示した。田中の数値は実際の墳丘断面を観察してのものであったため説得力があるものとされ、以後田中の数値が墳丘推定規模として引用され続けることとなった。その後、犬塚康博は地籍図などをもとに再検討を試み、全長138m、後円部径72m・高さ10m、前方部幅100mの先の数値とは大きく異なる推定規模を発表した。ただし、犬塚も『机上操作による一案』であり、特に前方部の規模については『復原推定の最大値』であることを述べている。そのため、この数値をもって規模を確定することはできない。」(「113 大須二子山古墳」『愛知県史 資料編3 考古3 古墳』所収p.362)と述べています。
 また、大須二子山古墳の北東約300mに那古野山古墳があります。服部さんは、「調査の結果、現在の墳丘盛土の大半は中世以降の積み直し土であることが確認され、現況は20m弱の円墳状を呈しているが、その形状・規模ともに疑問と言わざるを得ない。」「本墳は『モト瓢形ナリシ』という伝聞が残るため、前方後円形の墳形が推定されている。現状では確認することができないが、南約50mに位置している浅間神社古墳(内容不明)を前方部として、50~70mクラスの前方後円墳に復原する考え方もある。」(「112 那古野山古墳」前掲書p.360)と述べています。

 跡地付近。北から。
            中区門前町1-60付近。

 跡地付近。南から。


 跡地付近。東から。
            以上2014年4月撮影。 


   おまけ  那古野山古墳  (50~70mの前方後円墳か?)

 説明板2つ。「富士浅間神社」。「浪越公園跡」。

 那古野山古墳物語。


 残存部3つ。北西から。北から。北東から。
            以上2014年4月撮影。  


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