2018年07月05日

626 南屋敷西古墳(野3号墳) 岐阜県大野町 76m

 すでに何度か書いていますが、岐阜県内で大型古墳が多数みられる、国指定史跡「野古墳群」のひとつです。大野町のHP.の「史跡野古墳群」の項目で、「南屋敷西古墳(野3号墳)  前方後円墳/主軸全長約76m、後円部の直径約54m、円部の高さ約5.4m 前方部の先端幅約26m、高さ約4m。」と記されています。上記HP.によると、登越古墳(野4号墳)(ランキング523位)・乾屋敷古墳(野6号墳)(ランキング612位)に次ぐ規模の古墳です。
 墳丘の後円部東側がかなり崩れ、墳頂も盗掘抗らしきものがみられますが、他の部分は比較的よく残っています。後円部墳頂から西方に登越古墳、南方に南出口(城塚)古墳(野5号墳)(ランキング540位)を望むことができます。

 標柱。大野町教委の説明板。



 後円部中央。右側。左側。

 前方部右側。左側。前方部から後円部。


 後円部墳頂。


 前方部右隅から後円部。前方部左隅から後円部。


 ほぼ全景(横から)。右が後円部、左が前方部。南東から。



    おまけ  後円部墳頂から見る他の古墳

 ①南出口(城塚)古墳(野5号墳)


 ②登塚古墳(野4号墳)
            以上2016年5月撮影。  


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2018年07月05日

625 岩屋大塚古墳 奈良県天理市 76m

 名阪国道天理東IC.の西の側道沿いにあります。というよりも、名阪国道の建設によって墳丘南側の大部分が消失し、側道の北側に後円部の残存部が原形を留めずにあるのみです。その筋の人でなければ、古墳であるとはわかりません。おっさんも、絵を撮っていた時、住人らしき人が通りがかり、不審な目で見られたので、「古墳の写真を撮らせてもらっています。」と言って了解を得たことを思い出しました。
 名阪国道の約200m南に、石上大塚古墳(ランキング248位)やウワナリ古墳(ランキング214位)が造られています。

 前方部跡から後円部残存部2つ。北東から。東から。


 後円部残存部。南西から。


 遠景。中央の駐車場奥が後円部残存部。西から。
            以上2015年12月撮影。


 後円部残存部墳丘2つ。
              以上2012年3月撮影。  


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2018年07月05日

624 島泉丸山(高鷲丸山)古墳 大阪府羽曳野市 円墳 径76(径75)m

 宮内庁が雄略天皇の「丹比(たじひ)高鷲原陵」と治定している古墳のひとつです。幕末や明治時代の改修工事で、円墳の丸山古墳と近接した方墳の平塚古墳とを組み合わせて、「前方後円風」に仕立て上げ、雄略天皇の陵としたもの。ただし、北側から見ると丸山古墳の周濠のため「後円部」と「前方部」がつながっておらず、フェイク前方後円墳であることがよくわかります。前にも同じようなことを書きましたが、方墳としては規模最大の桝山古墳(ランキング482位)も、隣接した丘陵地を「前方部」とみなして「前方後円風」とし、宮内庁はそのフェイクな「墳丘」を、倭彦命の「身狭桃花鳥坂墓」と治定していました。
 藤井寺市のHP.の「古市古墳群紹介」の「円墳」の項目で、「32 島泉丸山 径(メートル):75 所在地(市):羽曳野」と記されています。円墳として、巨大な姿を示しています。改修工事以前は、この古墳単独で雄略天皇陵とする考えもあったそうです。森浩一さんも、『天皇陵古墳への招待』の中で、「高鷲には丸山古墳がある。直径七六メートルの大円墳で周濠もある。日本では一二番めに大きい円墳である。学会では古墳時代の天皇陵は前方後円墳がふさわしいという考え方があって、吉田東伍の『大日本地名辞典』では丸山古墳の西方にある河内大塚古墳を雄略陵にあてた。ぼくもそのように考えた時期もあるが、すでに述べたように河内大塚古墳の年代は雄略天皇の治世よりかなり新しい。(中略)このように高鷲丸山古墳は大円墳であることがかえって雄略天皇陵にふさわしいと考えている。」(pp.264~265)と主張しています。

 説明板。
            「落書きNO」


 全景。北から。


 やや全景。南から。


 やや全景。東から。


 近景。南東から。
            以上2013年12月撮影。


    おまけ   島泉平塚(高鷲平塚)古墳  方墳 辺50m

 立札(「制札」)
            「オーマイゴッド」

 ほぼ全景。東から。


 近景。南西から。
            以上2013年12月撮影。  


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2018年07月05日

623 百足塚古墳(新田原58号墳) 宮崎県新富町 76m

 新富町教育委員会の『祇園原古墳群13』によると、「百足塚古墳は墳長76.4m、後円部径32m、前方部幅43.6m、クビレ部幅38mを測り、前方部をほぼ正南にむけ、周囲に盾形周溝を有する2段築成の前方後円墳であることが判明した。」(p.5)と述べられています。1998年~99年にかけての発掘調査で、人物や動物・家などの形象埴輪が60個体以上出土しています。 
 国指定史跡「新田原古墳群」の中で、「祇園原枝群(古墳群)」を構成している古墳のひとつです。墳丘は、その名称とは異なり優美な姿を示しています。前にも書きましたが、新田原古墳群の中でも、この祇園原枝群(古墳群)の整備が進められており、この古墳の周辺には59号墳や弥吾郎塚古墳(ランキング361位)などがあります。

 新富町教委の説明板2つ。


 ほぼ全景(横から)。右が前方部、左が後円部。西から。
            以上2017年11月撮影。

   

 後円部右側。左側。

 前方部右側。左側。


 手前が前方部、右奥が後円部。

 手前が前方部、左奥が後円部。


 ほぼ全景(横から)。右が後円部、左が前方部。


 全景2つ。59号墳から見る。
              以上2012年2月撮影。  


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