2018年07月02日
617 八木岡瓢箪塚古墳 栃木県真岡市 77m
民家の裏山に大きな墳丘が残されています。ただ、最初の訪問時は、北側に前方部があると思い込んで絵を撮っていました。当然、検閲不合格です。再訪時も、はじめは前方部と後円部を間違えていましたが、途中で気づき事なきを得ました。また、民家の家族と思われる方に撮影許可の確認を得ることができました。古墳は、栃木県の史跡に指定されています。
石碑。真岡市教委の説明板。

後円部右側。左側。

前方部右側。左側。前方部から後円部。


後円部墳頂。
前方部端全景。西から。
全景。右が後円部、左が前方部。南から。
以上2017年3月撮影。
案内板。
2012年11月撮影。
石碑。真岡市教委の説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。前方部から後円部。
後円部墳頂。
前方部端全景。西から。
全景。右が後円部、左が前方部。南から。
案内板。
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18:54
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2018年07月02日
616 壬生長塚古墳 栃木県壬生町 77m
黒川左岸の河岸段丘上に位置しており、県道3号線の北の畑地の中に古墳の墳丘が見えます。壬生町には多数の大型古墳がありますが、この長塚古墳のある羽生田地域には、茶臼山古墳(ランキング383位)・富士山古墳(ランキング460位)そして大型円墳の桃花原古墳があります。また、鹿沼市の判官塚古墳が、約500m北西にあります。長塚古墳は、栃木県の史跡に指定されています。
石碑。壬生町教委の説明板。

後円部右側。左側。

前方部右側。左側。前方部から後円部。


前方部左隅から後円部。
前方部端全景。西から。
以上2017年3月撮影。
やや全景(横から)。右が後円部、左が前方部。南から。
全景。右が後円部、左が前方部。南東から。
以上2015年1月撮影。
石碑。壬生町教委の説明板。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。前方部から後円部。
前方部左隅から後円部。
前方部端全景。西から。
やや全景(横から)。右が後円部、左が前方部。南から。
全景。右が後円部、左が前方部。南東から。
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13:35
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2018年07月02日
615 入津原(にゅうつばる)丸山古墳 大分県豊後高田市 77(70・60)m
豊後高田市のHP.の「豊後高田市の前方後円墳について」の項目で、「入津原丸山古墳は、県内最大級の帆立貝式古墳で、市内で2番目に大きな古墳です。帆立貝式古墳とは、円墳に祭壇の役割を果たす短い突起(造り出し)が付属したもので、上空から見ると帆立貝のような形をしている前方後円墳の一種です。(おっさん註 人によって定義が違う場合があるのでヤヤコシイですが、この説明では「造り出し付き円墳」と「帆立貝形(式)前方後円墳」の区別がなく、ゴチャマゼ・・・)墳長は70mほどあります。昭和34年の発掘調査で、箱式石棺(現在は古墳の石碑になっています。) ・四獣鏡 ・鉄剣などが出土し、現在は東京国立博物館に収められています。」と記されています。また、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「入津原丸山古墳」の項目では、「墳丘 形状:前方後円(帆立貝形) 築成:前方部:1段、後円部:3段 墳長:60m 後円部:径45m 高13m 前方部:幅10m 長15m 高3m」と記されています。
水田の中に古墳があり、後円部の周濠部分は田地となっています。ただし、短い前方部は山林に続いています。古墳は、大分県の史跡になっています。北方約1km以内に、真玉大塚古墳(ランキング303位)や猫石丸山古墳があります。
後円部墳頂2つ。石碑は石棺の一部を使用。

後円部右側。左側。

前方部右側。左側。前方部から後円部。


後円部端全景。南東から。
全景。手前が後円部、左奥が前方部。東から。
以上2014年6月撮影。
水田の中に古墳があり、後円部の周濠部分は田地となっています。ただし、短い前方部は山林に続いています。古墳は、大分県の史跡になっています。北方約1km以内に、真玉大塚古墳(ランキング303位)や猫石丸山古墳があります。
後円部墳頂2つ。石碑は石棺の一部を使用。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。前方部から後円部。
後円部端全景。南東から。
全景。手前が後円部、左奥が前方部。東から。
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09:42
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2018年07月02日
614 埼玉八幡山古墳 埼玉県行田市 円墳 77(80)m
行田市教育委員会のHP.の「八幡山古墳石室」の項目で、「八幡山古墳は、この周辺に広がる若小玉古墳群(わかこだまこふんぐん)の中心となる古墳で、7世紀前半に造られた直径約80mの大型の円墳と推定されています。 昭和9年(1934)に、約2km東にあった小針沼(こばりぬま)の干拓事業のため古墳の封土を崩した際に、石室が現れました。翌年の発掘調査の結果、石室はほぼ南北に位置し、南を正面とする前・中・後室の3室からなる全長16.7mの巨大な石室であることが明らかになりました。各室とも秩父地方から運搬された巨大な緑泥片岩(りょくでいへんがん)と安山岩で築造されています。その後、昭和52年から54年に発掘調査と復元整備が行われて現在の姿になっています。」と記されています。
古墳は、まわりが工場地帯となっており、最初の訪問時はカーナビが無く、見つけるのに少々苦労しました。円墳ですが、「関東の石舞台」とも称される巨大で長大な横穴式石室が、むき出しの状態で見ることができ迫力満点です。八幡山公園として整備され、「八幡山古墳石室」として、埼玉県の史跡に指定されています。ただ、石室内部は土日祝の10時から16時のみ公開されています。
石碑。埼玉県教委・行田市教委の説明板。


石室入口。
石室近景。
ほぼ全景。南西から。
以上2015年1月撮影。
石室入口。
石室内部。中室。
石室内部。後室3つ。


石室近景。
ほぼ全景。
以上2012年10月撮影。
古墳は、まわりが工場地帯となっており、最初の訪問時はカーナビが無く、見つけるのに少々苦労しました。円墳ですが、「関東の石舞台」とも称される巨大で長大な横穴式石室が、むき出しの状態で見ることができ迫力満点です。八幡山公園として整備され、「八幡山古墳石室」として、埼玉県の史跡に指定されています。ただ、石室内部は土日祝の10時から16時のみ公開されています。
石碑。埼玉県教委・行田市教委の説明板。
石室入口。
石室近景。
ほぼ全景。南西から。
石室入口。
石室内部。中室。
石室内部。後室3つ。
石室近景。
ほぼ全景。
Posted by じこま at
07:55
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