2018年07月17日
[668-2] 段ノ山古墳 京都府京都市 75m
奈良女子大学の「前方後円墳データベース」の「段ノ山古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:推定75以上 特記事項【その他】消滅。」と記されています。
消滅古墳です。訪問時、跡地はパチンコ店になっていました。約600m北東に天塚古墳があります。
跡地付近。北東から。

跡地付近。南東から。
建物は、パチンコKB梅津店。 以上2016年5月撮影。
消滅古墳です。訪問時、跡地はパチンコ店になっていました。約600m北東に天塚古墳があります。
跡地付近。北東から。
跡地付近。南東から。
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14:26
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2018年07月17日
[668-1] 安養寺大塚越古墳 滋賀県栗東市 75m
奈良女子大学「前方後円墳ホームページ」の「安養寺大塚越古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:75m 特記事項【その他】1933年に土砂採取により墳丘消滅。墳形は地割から推定。円墳説・帆立貝説などある。」と記されています。
消滅古墳です。約100m北東に安養寺椿山古墳(ランキング318位)があります。
跡地付近。右は栗東中学校。北東から。
跡地付近。右は栗東中学校。北から。
以上2016年5月撮影。
消滅古墳です。約100m北東に安養寺椿山古墳(ランキング318位)があります。
跡地付近。右は栗東中学校。北東から。
跡地付近。右は栗東中学校。北から。
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13:23
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2018年07月17日
668 飯沼雲彩寺(飯沼天神塚)古墳 長野県飯田市 75m
古墳は、後円部の東側がお寺の本堂で削られ、前方部には墓地が広がっています。最初の訪問時、墳丘には木々が茂りはっきりと墳形を把握できませんでした。ただ、再訪時木々は伐採されて、墳形が明らかになりました。また、お寺のご厚意で石室への立ち入りもできました。その節は、本当にお世話になりました。
古墳は、長野県の史跡に指定されていましたが、2016年に「飯田古墳群」を構成する古墳のひとつとして国指定史跡となりました。史跡「飯田古墳群」は、2基の帆立貝形を含む13基の前方後円墳が指定されていますが、この古墳が群中最大規模となっています。
石柱。飯田市教委の説明板。

後円部中央。右側。左側。


前方部右側。左側。前方部から後円部。


後円部墳頂。
後円部全景。北から。
石室入口。内部。内部から入口。


全景。右が前方部、左が後円部。西から。
以上2017年9月撮影。
石柱と長野県教委・飯田市教委の説明板。
後円部端全景。北から。
石室入口。
全景。右が前方部、左が後円部。西から。
以上2015年9月撮影。
古墳は、長野県の史跡に指定されていましたが、2016年に「飯田古墳群」を構成する古墳のひとつとして国指定史跡となりました。史跡「飯田古墳群」は、2基の帆立貝形を含む13基の前方後円墳が指定されていますが、この古墳が群中最大規模となっています。
石柱。飯田市教委の説明板。
後円部中央。右側。左側。
前方部右側。左側。前方部から後円部。
後円部墳頂。
後円部全景。北から。
石室入口。内部。内部から入口。
全景。右が前方部、左が後円部。西から。
石柱と長野県教委・飯田市教委の説明板。
後円部端全景。北から。
石室入口。
全景。右が前方部、左が後円部。西から。
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10:50
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2018年07月17日
667 夫塚古墳 兵庫県神戸市 75m→(存在しない)
奈良女子大学の「前方後円墳データベース」の「夫塚古墳」の項目では、「墳丘 形状:前方後円 墳長:75m 特記事項【その他】後円高は妻塚古墳よりやや低い。1905年に消滅したと伝えられる。基底部は残存している可能性もある。」と記しています。ただ、夫塚古墳に近接するという妻塚古墳(白水瓢塚古墳)の地図上の位置情報が不正確なため、夫塚古墳の位置情報も信頼性に欠けます。その一方、HP.「神戸市の埋蔵文化財」の「遺跡分布図」の中では、赤い斜線をクリックすると「白水瓢塚古墳」が2箇所ありました。その左側(西側)の箇所は、地図上で「薬師山古墳」と記入してありました。「薬師山古墳」が夫塚古墳なのか、消滅古墳なので掲載していないのか訳が分かりません。一応、「薬師山古墳」と「跡地らしきところ」の絵を掲載します。
妻は元気で兵庫県の史跡に、夫は失踪して行方不明ということでしょうか。
追記 神戸市教育委員会の「白水瓢塚古墳 発掘調査報告書」では、「また、直良氏の報告に登場する『夫塚』と呼ばれる前方後円墳の存在も重要である。白水瓢塚古墳と前方部をつき合わせて西側丘陵鞍部に立地するとされるが、この前方後円墳の前方部にあたる場所はまさしく直良第1号棺あるいは白水3号墳が確認された尾根鞍部に当たる。(中略)そもそも直良氏の報告する前方後円墳の『夫塚』は存在しなかったとしておいた方が妥当ではないかと考えられる。」(p.7)と述べられています。したがって、「存在しない」と訂正します。また、下の絵も、「跡地か」は「跡地ではない」ということになります。(2019年2月10日記)
「薬師山古墳」近景。北から。
「薬師山古墳」遠景。北から。
跡地か。奥は白水瓢塚古墳。西から。
跡地か。右が白水瓢塚古墳。北西から。
以上2016年9月撮影。
妻は元気で兵庫県の史跡に、夫は失踪して行方不明ということでしょうか。
追記 神戸市教育委員会の「白水瓢塚古墳 発掘調査報告書」では、「また、直良氏の報告に登場する『夫塚』と呼ばれる前方後円墳の存在も重要である。白水瓢塚古墳と前方部をつき合わせて西側丘陵鞍部に立地するとされるが、この前方後円墳の前方部にあたる場所はまさしく直良第1号棺あるいは白水3号墳が確認された尾根鞍部に当たる。(中略)そもそも直良氏の報告する前方後円墳の『夫塚』は存在しなかったとしておいた方が妥当ではないかと考えられる。」(p.7)と述べられています。したがって、「存在しない」と訂正します。また、下の絵も、「跡地か」は「跡地ではない」ということになります。(2019年2月10日記)
「薬師山古墳」近景。北から。
「薬師山古墳」遠景。北から。
跡地か。奥は白水瓢塚古墳。西から。
跡地か。右が白水瓢塚古墳。北西から。
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09:41
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2018年07月17日
666 井上古墳(山ノ神古墳) 茨城県行方市 径30mの円墳←75m
奈良女子大学の「前方後円墳データベース」の「井上古墳(井上1号墳・山の神古墳)」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:75m 後円部:径23m 高3.5m」と記されています。ただし、玉造町遺跡調査会・玉造町教育委員会の『井上古墳群第1号墳 発掘調査報告書』では、「井上古墳群第1号墳は、築造時の約1/3が残存しているにすぎず、この度、宅地拡張造成及び土砂崩れの危険回避のため発掘調査を実施しました。この古墳は従来前方後円墳と考えられていましたが、今回の調査の結果、直径30mの円墳であることが確認されました。」(p.1)と述べられています。
古墳は、台地上の民家の裏にありました。付近には、この1号墳を含め8基の円墳と1基の前方後円墳があり、井上古墳群を形成しています。
跡地遠景。中央の住宅の奥。南東から。
行方市井上2054付近。 2015年5月撮影。
古墳は、台地上の民家の裏にありました。付近には、この1号墳を含め8基の円墳と1基の前方後円墳があり、井上古墳群を形成しています。
跡地遠景。中央の住宅の奥。南東から。
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08:27
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