2019年02月07日
1144 蓬来(蓬莱)山古墳 大分県大分市 60m
奈良女子大学の前方後円墳データベースの「蓬莱山古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 築成:不明 墳長:60m 後円部:径36m 高6m 前方部:幅17m 長25m 高3m 特記事項【周濠】あり(馬蹄形)。」と記されています。大分県の史跡に指定されています。
古墳は、「庄の原台地」の平坦部分に立地し、東九州自動車道の「大分」IC.の約500m南西に位置しています。墳丘は、「龍音寺」の境内にあり、全体的に丸みを帯びた形で、段築は見られませんでした。墳丘の周囲には周溝がめぐっており、周堤の前方部側にある白い鳥居と玉砂利が印象的でした。ただ、訪問時が古墳見学のオフシーズンで、草木が繁茂していて「全景」のいい絵が撮れなかったことが心残りです。
大型標柱。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後円部。
手前が前方部、左奥が後円部。手前が前方部、右奥が後円部。

全景。中央手前が後円部、左奥が前方部。東から。
以上2014年6月撮影。
古墳は、「庄の原台地」の平坦部分に立地し、東九州自動車道の「大分」IC.の約500m南西に位置しています。墳丘は、「龍音寺」の境内にあり、全体的に丸みを帯びた形で、段築は見られませんでした。墳丘の周囲には周溝がめぐっており、周堤の前方部側にある白い鳥居と玉砂利が印象的でした。ただ、訪問時が古墳見学のオフシーズンで、草木が繁茂していて「全景」のいい絵が撮れなかったことが心残りです。
大型標柱。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部。
手前が前方部、左奥が後円部。手前が前方部、右奥が後円部。
全景。中央手前が後円部、左奥が前方部。東から。
Posted by じこま at
10:10
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2019年02月07日
1143-2 秋山諏訪山古墳のおまけの「秋山庚申堂古墳」 埼玉県本庄市
秋山庚申堂古墳は、直径34mの円墳です。秋山古墳群の中で唯一、本庄市の史跡となっています。
埼玉県の「秋山古墳群」の説明板。
標柱。表と裏。

全景。南西から。
以上2014年12月撮影。
埼玉県の「秋山古墳群」の説明板。
標柱。表と裏。
全景。南西から。
Posted by じこま at
09:09
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2019年02月07日
1143 秋山諏訪山古墳 埼玉県本庄市 60m
本庄市遺跡調査会の『秋山諏訪平遺跡Ⅳ ーG地点の調査ー』では、「この地域においては6世紀に入ると中規模な前方後円墳である生野山銚子塚古墳(全長58m)、生野山16号墳(全長58m)、秋山諏訪山古墳(全長60m)等が、後の古墳群域から幾分離れた丘陵上に相次いで築造されている。このうちでも本遺跡の近傍に位置する秋山諏訪山古墳は、6世紀前半から中葉に形成されたと推定されており、9.07mというこの地域では最長の無袖型横穴式石室をもっている(略)。この秋山諏訪山古墳をはじめとするこの地域の古墳時代後期の前方後円墳は、新しい企画と技術を用いた横穴式石室等が導入されており、先進地との何らかの交渉なしには成し遂げられないものであったと考えることができる。」(p.15)と述べられています。
古墳は、丘陵地の山林の中にあり激しい薮によって、高まりのある部分は確認できたものの、墳形は全くわかりませんでした。訪問時、古墳のすぐ南側には、「本庄児玉聖地霊園」の事務所のプレハブがありました。ただ、現在は太陽光発電施設があるようです。
秋山諏訪山古墳を含む秋山古墳群は埼玉県選定重要遺跡に指定されています。また、秋山古墳群に属する秋山庚申堂古墳は、本庄市の史跡に指定されています。
後円部右側。左側。

前方部右側。左側。

前方部から後円部か。
全景。右手前が後円部、左奥が前方部か。南から。
遠景。西から。
以上2014年12月撮影。
古墳は、丘陵地の山林の中にあり激しい薮によって、高まりのある部分は確認できたものの、墳形は全くわかりませんでした。訪問時、古墳のすぐ南側には、「本庄児玉聖地霊園」の事務所のプレハブがありました。ただ、現在は太陽光発電施設があるようです。
秋山諏訪山古墳を含む秋山古墳群は埼玉県選定重要遺跡に指定されています。また、秋山古墳群に属する秋山庚申堂古墳は、本庄市の史跡に指定されています。
後円部右側。左側。
前方部右側。左側。
前方部から後円部か。
全景。右手前が後円部、左奥が前方部か。南から。
遠景。西から。
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08:08
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