2019年02月18日

1172-2 郡川西塚古墳のおまけの「郡川東塚古墳」 大阪府八尾市

 消滅古墳です。現在は、住宅地となっています。
 奈良女子大学の前方後円墳データベースの「郡川東塚古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:50m 後円部:径25m 高3m 前方部:幅27m 長24m 高2m」と記されています。

 跡地付近。南西から。
            八尾市郡川3丁目ー61付近。

 跡地付近。南東から。
            以上2014年6月撮影。
  


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2019年02月18日

1172 郡川西塚古墳 大阪府八尾市 60m

 八尾市立埋蔵文化財調査センターのHP.「発掘情報 平成27(2015)年度」にある「古墳時代後期の前方後円墳の葺石と周濠を確認!」の項目で、「郡川西塚古墳は、本市の東部、現在の行政区画では、郡川一丁目に立地する古墳時代後期(6C)の前方後円墳です。地形的には、生駒山西麓部に発達した緩扇状地の末端部(標高13~16m)に位置しています。 本古墳は北面している前方後円墳で、現在、その原形は著しく破壊されていますが、測量の結果、全長約60m、後円部径約30mの規模を有することが予測されています。」と記されています。
 古墳は、新旧国道170号線の間に位置し、旧170号線と県道177号線との「郡川」交差点を約80m西に行った畑地の中にあります。ただ、畑地に勝手に足を踏み入れることははばかられたので、墳丘上の絵はありません。やや離れたところから絵を撮りました。
 約100m東に郡川東塚古墳、約2km北に心合寺山古墳(ランキング62位)があります。

 全景(横から)。右が前方部、左が後円部。北東から。


 全景。右奥が後円部、左手前が前方部。北西から。
            以上2014年6月撮影。  


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2019年02月18日

1171 水堂古墳 兵庫県尼崎市 60m

 尼崎市のHP.の「史跡・文化財散歩」の「水堂古墳」の項目で、「水堂古墳は、原形が著しく損なわれていますが、全長約60mと推定される古墳時代前期の前方後円墳です。昭和37年の発掘調査で、後円部から粘土槨に覆われた長さ約7m、幅約1mの割竹形木棺が見つかりました。木棺の内側は朱が塗られ、鉄刀、短剣、鉄槍、胡ろく(矢筒)、三角縁三神四獣鏡(径23cm)などが副葬されていました。三角縁神獣鏡は奈良県黒塚古墳、京都府芝ガ原11号墳と同型鏡です。出土遺物は尼崎市指定文化財、尼崎市立文化財収蔵庫で展示中です。また、検出された粘土槨は水堂須佐男神社内の水堂古墳保存館で、社務所に申し出れば見学することができます。」と記されています。また、奈良女子大学の前方後円墳データベースの「水堂古墳」の項目で、「墳丘 形状:前方後円 墳長:60m 後円部:径30m 高5m 前方部:幅50m 長30m 特記事項【周濠】あり(後円部北側のみ、幅20m)。【その他】封土中から弥生土器片・石斧・砥石出土。前方部は平坦化されて社殿・神官宅・参道となり原形を失う。後円部も南半が拝殿建築により削平。」と記されています。
 古墳は、武庫川左岸の平地に立地し、約500m東南東にJR東海道線の「立花」駅があります。上記のように、前方部は削平され後円部も社殿が建立されて墳形はわかりませんでした。ただし、東側の道路から見ると後円部の高さを感じることができます。境内には、水堂古墳保存館があり、関係者の許可をいただいて見学させていただきました。保存された粘土槨には、被葬者や出土品の場所がわかるような配慮がなされていました。境内には、いくつかの説明板が立てられており、その中でも震災の犠牲者と古墳の被葬者を弔う趣旨のものがあり、あらためて阪神・淡路大震災の被害の大きさを考えさせられました。ただ、別の説明板に、「弥生後期(四、五世紀)の築造とみられる前方後円墳」という記述は・・・でした。

 尼崎市教委の説明板。神社の説明板。


 水堂古墳保存館とその展示品。
            以上2014年1月撮影。


 震災の犠牲者と古墳の被葬者を弔う説明板。


 前方部跡から見る後円部の社殿。南から。


 後円部残存部。北西から。
            以上2016年10月撮影。  


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